福島県内の「相馬」の名字の詳細 | |
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■ 相馬(そうま): 福島県の相馬家
# 福島県の相馬家: 相馬中村藩主。下総国相馬郡(茨城県)をルーツとし、桓武平氏の千葉氏の出。平将門の子の将国が常陸国信田郡(茨城県)に落ち延び、後に胤国の時に相馬郡に移り住んで相馬氏を称した。
・ 相馬師常が、源頼朝の東北遠征で手柄をたて、行方郡(福島県南相馬市と飯館村)を与えられた。【出典】
・ 陸奥中村藩(福島県相馬市)藩主。下総国相馬郡(茨城県)をルーツとし、桓武平氏の千葉氏の出。系図上では、平将門の子の将国が常陸国信田郡に落ちて、後に胤国のときに相馬郡に移って相馬氏を称したのが祖といい、千葉常胤の二男の師常は相馬師国の養子となって相馬氏を継いだとする。戦国時代には牛越城に移って、行方・宇多・標葉の三郡を支配し、伊達氏と争った。1590年に義胤のときに小田原の豊臣秀吉のもとに参陣し、本領を安堵されたが、関ヶ原の戦いでは出兵しなかったため所領は没収。1602年に利胤のときに再興した。1611年に中村城(相馬市)を築城して小高から移った。明治時代には子爵。【出典】
# 陸奥国相馬郡の戦国大名。桓武平氏の千葉氏の出。系図上では、平将門の子の将国が常陸国信田郡に落ち、のちに胤国のときに下総国相馬郡(茨城県)に転じて相馬氏を称した。千葉常胤の二男の師常は相馬師国の養子になって相馬氏を継いだという。師常は父とともに源頼朝に仕えて奥州征討に功を上げ、陸奥国行方郡に所領を与えられた。胤村のとき、胤氏に下総国相馬郡、師胤に陸奥国行方郡を分割して与えた。元亨3年(1323年)に重胤が一族を率いて太田村(福島県南相馬市)に下向、嘉暦元年(1326年)に小高城(南相馬市)を築いた。戦国時代には牛越城に転じて、行方・宇多・標葉の三郡を支配し、伊達氏と争った。天正18年(1590年)に義胤のときに小田原の豊臣秀吉のもとに参陣し本領安堵された。しかし、関ヶ原の合戦では伊達氏に対抗するために上杉氏に通じて出兵しなかったため所領は没収された。のちに中村藩主として再興した。【出典】
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