「目結」の家紋の解説
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■ 「目結」の家紋の解説: 「目結」の家紋図

# 「目結紋」と「目紋」: 目結紋は江戸時代以降は、家紋名としては多くの場合「結」が省かれる。【出典

# 目結い紋: 「目結」とは、鹿の子絞りの古語。

# 「目結紋」の分布

# 宇多源氏佐々木氏の代表家紋。四つ目が多いが、一から十六以上ある。出典

# 通常は「三つ目結」から「一六目結」まであり、それ以上は「滋(しげ)目結」という。【出典

# 目結紋【出典
・ 布を糸で括って染めると、白く染め残る箇所ができる。これを「目結」と呼んで文様化した。近江源氏の佐々木氏が「四つ目結」を家紋に使い、諸国に広まった。配列や他の紋との組み合わせで、種類も多く、江戸時代には大名家や旗本家などで広く使用された。
・ 隅立て一つ目紋、三つ目紋、隅立て四つ目紋、平四つ目紋、市松四つ目紋、糸輪に割り四つ目紋、捻じ四つ目紋、重ね五つ目紋、陰陽繋ぎ九つ目紋、九つ目紋。

# 目結紋(めゆいもん): 目結の文様は奈良時代から見られ、二条家九条家は冠の刺繍紋として使用された。目結という名称は、染文様の絞り染めに因む。近江国発祥の佐々木氏の家紋で、一族の繁栄により家紋も広がった。【出典

# 目結紋(めゆいもん): 目結は、染文様の絞り染めで、鹿子(かのこ)絞り、纐纈(こうけち)とも呼ぶ。布の一部を括ったり、縫い締めたりして防染して染め出す模様である。日本では、穴を開けた物を「目」と表現するが、目結も糸で結った絞り染めということで、目結と称される。公家が被る冠では九条家二条家が四目結の紋を使用している。目結紋は近江国の宇多源氏佐々木氏族が使用したことで有名。「蒙古襲来絵詞」には、竹崎季長が「三目結に吉の字」、少弐氏が「四目結」が記載されている。寛政譜には、石見国の津和野藩亀井家、讃岐国の丸亀藩の京極家、但馬国の豊岡藩の京極家、丹波国の福知山藩朽木家、対馬国の府中藩の宗家、丹後国宮津藩本庄家が、幕臣では能勢家、小嶋(児島)家、猪飼家、本庄家、間宮家、木村家松下家山崎家野村家建部家など110家以上が使用し、そのうちの77家は佐々木氏の出。佐々木の名字の多い東北地方にまとまってみられ、青森県、岩手県、秋田県、京都府、長崎県、北海道、宮城県、山形県、滋賀県、山口県などに多く見られる。【出典

# 目結紋(めゆいもん): くくり染め、しぼり染めで、穴があいたようにできる模様がある。これを「目結」という。くくり染めはごく初歩的な技法ででき、平安・鎌倉時代に流行った。目結は方形で、真ん中の穴も方形。整然と並んだ方形模様の美しさから家紋になった。近江源氏の代表家紋で、佐々木氏は四つ目結紋を使用した。江戸時代の大名や旗本では70家以上で使用された。佐々木家、京極家、六角家朽木家山崎家亀井家武藤家松下家などに見られる。【出典

# 目結紋: 染文様の目結を図案化した紋で、平安時代から鎌倉時代にかけて、衣服や直垂、幡などの文様として流行し、家紋に転じた。近江源氏の佐佐木氏の一族や、椎名家飯田家本庄家斎藤家などに見られる。【出典

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