「建部」の名字の由来 | |
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■ 建部(たけべ、けんべ)
【2022/12/26:新載】
# 近江国神崎郡の国人。宇多源氏の佐々木氏の一族という。六角時信の三男の信詮が相模国山内に住んで山内氏を称し、その孫の詮秀が近江国神崎郡建部(滋賀県東近江市)に住んで建部氏を称した。以後は、六角氏に従った。六角氏の没落後には、建部秀明は織田信長に仕えたが、1576年に討ち死にして嫡流は断絶した。秀明の叔父の賢文は織田信長には仕えず、建部村に逼塞して、その子の昌興が1596年に徳川家康に仕えて右筆になった。江戸時代には旗本で1000石を領した。【出典】
# 近江国神埼郡の国衆。宇多源氏の佐々木氏族。六角時信の三男の信詮が相模国山内に住んで山内氏を称し、その孫の詮秀が近江国神埼郡建部(滋賀県東近江市)に住んで、建部氏を称した。以後、代々六角氏に従って、のちに箕作城に拠った。六角氏の没落後には、秀明は織田信長に仕えたが、天正4年(1576年)に討ち死にして嫡流は断絶した。秀明の叔父の賢文は信長に仕えず、建部村に逼塞して、その子の昌興(伝内)は徳川家康に仕え、江戸時代には旗本。【出典】
# 新潟県の建部家
# 兵庫県の建部家
# 部民制。
# 「部」のつく名字。
# 古代豪族の建部家
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