丸亀藩
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■ 丸亀藩(まるがめはん): 香川県丸亀市

・ 「丸亀」の地名

・ 京極家5万1千石・外様

・ 1658年に播磨国竜野から京極家が入封した。  

・ 讃岐国西部を領有した外様中藩。居城は那珂郡の丸亀城(亀山城)。生駒親正は、天正15年に豊臣秀吉から讃岐国15万石を与えられ、翌16年から3年かかって香東郡(香川郡東)の野(箆)原荘に高松城を築き、ここを居城としたが、西讃岐支配のために慶長2年に那珂郡の津ノ森荘の亀山に丸亀城を築いた。この丸亀城には世子生駒一正がおり、一正が藩主になって高松城へ移ってからは城代を置いていたが、元和元年の一国一城令により廃城となった。寛永17年生駒騒動によって生駒氏が出羽国の矢島へ転封され、翌18年肥後国天草の富岡藩4万石の領主山崎家治が西讃岐5万67石余の領主として入部した。山崎家治は廃城となっていた丸亀城を同19年から2年がかりで再興して居城とした。万治元年に播磨国竜野6万石を領していた京極高和が山崎氏の跡に入り、西讃岐5万67石余に播磨国揖保郡のうち20か村1万石(網干領)と近江国蒲生郡のうち2か村・1445石余を加えて計6万1512石余を領した。【出典

# 丸亀藩士: 

# 丸亀藩(まるがめはん): 讃岐国。丸亀城。京極家。外様大名。5万1000石。控間:柳間。格:城主。位階:従五位下。上屋敷:港区虎ノ門。高松藩主の生駒家の転封後、生駒家の藩領だった丸亀に山崎家治が入封したが三代で断絶。万治元年(1658年)に、京極高知が入封すると、以後は京極家が七代続いた。【出典


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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