「さいしょ」の名字の由来 | |
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■ 最所(さいしょ)
【2014/12/25:改編】
# 佐賀県や福岡県にみられる。
# 税所(さいしょ)から変化したといわれる。
# 陸奥国の留守氏の家臣に最所氏がいた。
■ 税所(さいしょ)
【2022/11/19:改編】
# 鹿児島県に多く見られる。
# 税所は平安時代に税の徴収にあたった役所のこと。
# 税所は平安時代に国司のもとで租税の管理を行った役所で、ここの在庁官人を世襲した一族が税所氏を称した。なかでも、常陸国の税所氏と、大隅国の税所氏が有名。【出典】
# 常陸国の税所氏: 百済系の渡来人の子孫という。平安時代末期に常陸国の在庁官人となった百済貞成が祖という。子孫は代々世襲して税所氏を称したが、のちに桓武平氏の大掾氏の庶流の山本望幹の三男の忠成が継いだ。以来、戦国時代まで続いた。【出典】
# 大隅国の税所氏: 光孝天皇の子孫という。大隅国曽於郡(鹿児島県国分市付近)を本拠とし、大隅国の在庁官人をつとめた。鎌倉時代には幕府の御家人となり、大隅国内で大きな勢力を持っていたが、室町時代に没落した。【出典】
# 現在も、九州南部に多く見られ、鹿児島県と宮崎県南部にまとまってみられる。【出典】
# 常陸の税所氏は百済系の渡来人の子孫だが、後に桓武平氏の大掾氏の庶流の山本忠成が継いだ。
# 大隅国曽於郡の国人。光孝天皇の子孫と伝えるが、異説もある。平安時代後期に篤如が大隅国に下向したのが祖。以後、大隅国曽於郡(鹿児島県霧島市)を本拠とし、大隅国の在庁官人をつとめた。鎌倉時代には幕府の御家人になり、大隅国内で大きな勢力をもった。南北朝時代には北朝に属したが、室町時代になると没落。1483年に、税所篤庸は帖佐城主の島津忠廉と戦って敗れ、以後は島津氏の家臣になった。江戸時代には薩摩藩士。【出典】
# 茨城県の税所家
# 鹿児島県の税所家
【2023/04/25:新載】
# 備前国上道郡の国衆。「さいしょ」ともいい、「税所」とも書いた。龍の口城(岡山市中区)城主。天文21年(1552年)に出雲国の尼子晴久の軍が備前国に侵攻してきた際に、?所豊前守久経は、※所信濃守、石井右兵衛尉とともに防戦に努めた。久経の子の元常は金川城主の松田氏に属して激しく宇喜多直家と争ったが、永禄4年(1561年)に素性を隠して仕えていた直家の家臣の岡剛介によって討たれて滅亡した。【出典】
・ ※: 「禾+最」。
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