「かげやま」の名字の由来 | |
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■ 蔭山(かげやま)
【2022/12/03:改編】
# 代表家紋
# 清和源氏義家流足利氏族。永享十一年に、足利持氏が敗れて自殺したときに、一子広氏三歳が、乳母に匿われて伊豆国に逃れ、外縁の蔭山氏に育てられた。成人して同家に婿入りして蔭山氏を称した。代表家紋は「丸に抱き沢瀉紋」「九曜紋」。【出典】
# 伊豆国賀茂郡の国人。清和源氏の足利氏の一族。1439年に足利持氏が自刃した際に、三歳だった七男の広氏は乳母にともなわれ伊豆国に逃れて蔭山氏に養われ、のちに婿となって蔭山氏を称した。戦国時代には河津城(静岡県賀茂郡河津町)に拠り、北条氏に属した。1590年の小田原城の落城(小田原攻め)で氏広は伊豆賀殿で蟄居した。氏広の養女の於万の方(養珠院)は徳川家康の側室になって、紀州徳川家初代藩主の頼宣と、水戸徳川家初代藩主の頼房を産んでいる。このため、於万の方の弟の貞広が家康に召し出されて旗本になり1200石を領した。【出典】
# 「山」のつく名字。
■ 影山(かげやま)
【2022/04/10:新載】
# 景山・蔭山などにも通用する。播磨国の豪族は藤原姓と村上源氏の赤松氏族の二流がある。藤姓は大日山城主で、淡路国にも広まった。関東地方では関東公方の足利持氏の七男の広氏が蔭山氏を、他に奥州田村家の家臣の影山家などがある。代表家紋は「九曜紋」「茗荷紋」。【出典】
■ 景山(かげやま)
【2022/11/04:新載】
# 代表家紋
# 中国地方一帯に広く見られる。山陰地方に多く見られ、とくに島根県の出雲地方から鳥取県境港市にかけてまとまってみられる。【出典】
■ 陰山(かげやま)
【2024/11/12:新載】
# 島根県北部と兵庫県の播磨地方に多く見られる。とくに、島根県簸川郡斐川町にまとまって見られる。【出典】
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