兵庫県内の「青山」の名字の詳細 | |
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■ 県内295位: 青山(あおやま): 兵庫県の青山家
# 全国にみられるが、とくに愛知県、北海道、東京都などに多い。
# 篠山藩主の青山家や、摂津三田藩士の青山家などがある。もとは志摩国答志郡の国人で、南北朝時代から和具城(三重県志摩市志摩町)に撚った。江戸時代には三田藩士。【出典】
# 兵庫県内ではまんべんなく見られるが、比較的阪神地区や豊岡市に多く見られる。【出典】
# 兵庫県の青山家: 丹波篠山藩主。上野国吾妻郡青山郷(群馬県吾妻郡中之条町青山)をルーツとし、藤原北家の花山院氏の一族。後に、三河国に転じ、松平家に仕えた。明治維新後には子爵。【出典】
・ 篠山藩主。上野国吾妻郡青山郷(群馬県吾妻郡中之条町青山)の出で、公家の花山院家の一族と伝えるが不詳。忠成は徳川秀忠の側近となって、関東入国では町奉行として5000石を領し、原宿から渋谷にかけての広大な土地を賜った。関ヶ原の合戦後、常陸江戸崎藩1万5000石を立て、忠俊は1615年に老中となって、1620年には武蔵岩槻5万5000石に転じたが、三代将軍家光にしばしば諫言したため、1625年に除封になった。1634年に長男の宗俊が家光からゆるされて再出仕、1648年に信濃小諸藩3万石で再び大名となった。以後、各地を転々とし、1748年に丹波篠山藩5万石へ転じた。1827年には6万石に加増、明治時代には子爵。【出典】
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