愛知県内の「大岡」の名字の詳細
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■ 大岡(おおおか): 愛知県の大岡家 

# 愛知県の大岡家: 三河国八名郡宇利郷の出で、鎌倉時代の九条教実の子孫を称する。江戸時代は当初は旗本だったが、1748年に大岡忠相寺社奉行となり三河国西大平藩1万石を立藩したが、神奈川県茅ヶ崎にも領地があり菩提寺もある。明治時代には子爵。【出典

※ たしか、神奈川県の湘南にも領地があって、そちらでの方が有名だったような。  

・ 西大平藩(愛知県岡崎市)藩主。1120石の旗本だった大岡忠真の跡を分家から養子となって継いだ忠相を祖とする。忠相は、伊勢国の山田奉行の在任中に代々の奉行が先送りしていた天領と紀州藩の境界争いについて、紀州藩に不利な判定を下したことで、当時の紀州藩主の徳川頼方の注目を得、後に頼方が徳川宗家を継いで八代将軍吉宗になると、抜擢されて、町奉行、寺社奉行を歴任した。吉宗のもとで次々と改革を実施した。その後、寺社奉行を経て1748年に奏者番となって1万石に加増され、三河国西大平藩を立てた。明治時代には子爵。【出典

# 愛知県の大岡家: 尾張藩士参考

# 三河国西大平藩主の大岡家: 大岡忠相で知られる大岡氏は藤原北家の出を称す。もとは、代々三河国八名郡宇利郷(愛知県新城市那珂宇利)に住む土豪で、忠勝以来代々松平氏に従っていた。忠相の時に徳川吉宗に仕え、江戸町奉行、寺社奉行を歴任。1748年には三河国の西大平藩1万石の藩主。明治時代には子爵。【出典

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