愛知県内の「大給」の名字の詳細 | |
【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
名字と地名のMenu | 愛知県の名字の特徴 |
スポンサーリンク |
スポンサーリンク |
■ 大給(おぎゅう): 愛知県の大給家
# 愛知県の大給家: 三河国の西尾藩主。三河国加茂郡大給(愛知県豊田市松平町大給)をルーツとし、松平氏の庶流。江戸時代には老中も務め、明治時代には子爵。【出典】
・ 西尾藩主。大給松平家の嫡流。家乗が1590年の関東入国の際に上野国那波(群馬県)で1万石を領したのが祖で、関ヶ原の合戦後、1601年に美濃岩村藩2万石を立てた。
以後、1638年に遠江浜松3万6000石を経て、1644年に上野館林6万石へ加増。以後も、1661年に下総国佐倉、1678年に肥前唐津、1691年に志摩鳥羽、1710年に伊勢亀山、1717年に山城淀、1723年に下総佐倉、1746年に出羽山形と転じ、1764年に三河西尾藩6万石へ。明治時代には子爵。【出典】
# 松平氏の一族。松平親忠の二男の乗元が父から三河国加茂郡大給(愛知県豊田市松平町大給)を譲られたのが祖。明応2年(1493年)に乗元は三河国額田郡奥殿(愛知県岡崎市奥殿)を領した。松平氏の庶流だが、惣領の安城松平家には従わず、独自に動いて居た。永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦後にも今川氏に属して徳川家康と戦い、永禄7年頃には家康に降った。【出典】
都道府県毎の名字の特徴 | 名字の様々な区分 |
難読名字 | 難読地名・珍地名 |
地名と災害 | 名字の博物館 |
名字と地名・都道府県編 | 民俗学の広場内の検索 |
■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。【詳細】