静岡県内の「松井」の名字の詳細 | |
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■ 県内77位: 松井(まつい)
# 静岡県内では、西部に多く見られ、榛原郡御前崎町では1位。【出典】
# 松井氏は大納言藤原長宗より出、清和源氏の源信濃守宗綱が継いだ。【出典】
# 1338年に源為義の子の松井冠者維義の後裔で山城国住人の松井兵庫頭宗次は足利尊氏に属し葉梨郷(藤枝市)の地頭になり、池田郷(静岡市)を与えられ、子の八郎助宗は香貫郷(沼津市)を与えられ、宗次の五代孫の兵庫助保仲は今川範氏に仕えた。【出典】
# 城飼郡平川村(小笠町)の松井山城守宗能は今川氏親に仕えて堤城主、その子の八郎貞宗は二俣城主、その子の松井左衛門亮信薫は今川氏親に仕え、1514年に二俣城(天竜市・現浜松市天竜区)に転じ、その弟の五郎八郎宗信は今川義元に属し、桶狭間の戦いで討ち死にしたが、子の兵庫守助近や孫の惣左衛門宗保の子の宗直は今川氏の没落後に徳川家康に仕えた。【出典】
# 遠江国の松井氏の祖は、源義家が山城国から連れてきて、横地氏と二俣氏が養育したともいう。【出典】
# 遠江国の国衆。清和源氏の出で、山城国の出という。松井宗次は足利尊氏に属して志太郡の地頭になって下向、子の助宗は駿河国駿東郡香貫郷(静岡県沼津市)を領した。子孫はのちに今川氏に仕え、宗能は小笠郡下平川(静岡県菊川市下平川)を賜って、堤城に拠った。永正11年(1514年)に今川氏親の命で二俣城(静岡県天竜市・現浜松市天竜区)に転じた。今川氏の没落後の元亀3年(1572年)には、宗恒は武田信玄に降って下平川を安堵された。【出典】
# 駿河国の国人。清和源氏の出で、山城国発祥。松井宗次は足利尊氏に属して志太郡の地頭となって下向した。子孫は、後には今川氏に仕えた。【出典】
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