長野県内の「島津」の名字の詳細 | |
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■ 島津(しまづ): 長野県の島津家
# 長野県の島津家: 薩摩の島津氏の一族。鎌倉時代に島津忠久が太田荘(長野県長野市)の地頭となり、子の時代に太田荘に住んだ。戦国時代には甲斐の武田家に仕え、後に上杉家に従った。上杉家が会津に転じた後には信濃を離れた。【出典】
# 長野県の島津氏: 信濃国水内郡の国人で薩摩の島津氏の一族。承久3年(1221年)に島津忠久が信濃国水内郡太田荘(長野県長野市)の地頭となったのに始まる。子孫は赤沼島津氏と称し、戦国時代には武田信玄に属し、江戸時代には米沢藩士。また、一族の長沼島津氏は戦国時代には上杉氏に属し、上杉家の会津移封にともなって信濃を離れ、江戸時代には出羽国の米沢藩の上杉家の家老として800石。
# 信濃国水内郡の国衆。薩摩国の島津氏の一族。承久3年(1221年)に島津忠久が太田荘(長野市)の地頭になって、子の忠綱・忠直兄弟が太田荘に住んだのが祖。忠綱の子孫は赤沼島津氏を称して、戦国時代に島津尾張守は武田信玄に属した。江戸時代には米沢藩士。一方、忠直の子孫は長沼島津氏を称し、戦国時代に忠直は上杉氏に属した。慶長3年(1598年)に上杉景勝の会津移封に従って信濃国を離れ、江戸時代には米沢藩の家老をつとめた。【出典】
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