茨城県内の「小田」の名字の詳細 | |
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■ 小田(おだ): 茨城県の小田家
# 茨城県の小田家: 常陸国小田(茨城県つくば市)をルーツとし、藤原北家。鎌倉時代に常陸国の守護となったが、南北朝時代には南朝に属し衰退した。戦国時代には小田原の北条氏に属し、豊臣秀吉の小田原攻めで滅んだ。【出典】
# 常陸国の戦国大名。藤原北家の出で、宇都宮氏の一族。文治5年(1189年)に八田知家が常陸国の守護になり、子の知重の家系が守護職を世襲して小田城(茨城県つくば市小田)に拠って小田氏を称した。南北朝時代には南朝に属し、北畠親房が「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」を著したのも小田城。暦応4年(1341年)に高師冬に敗れて落城、常陸国の守護職を失って没落した。室町時代には鎌倉公方に仕え、孝朝のころから再興した。弘治2年(1556年)に氏治は北条氏・結城氏に敗れて落城。永禄6年(1563年)には北条氏と結んだが、元亀3年(1572年)の大晦日に太田資正に攻められて再び落城した。以後は藤沢城に拠って佐竹氏と争い、天正11年(1583年)に佐竹氏に降った。天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原攻めでは、豊臣方の佐竹氏から独立して小田城の奪還を試みたが、それを原因に所領を没収された。【出典】
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