福島県内の「芦名」の名字の詳細
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■ 芦名(あしな): 福島県の芦名家

# 福島県の芦名家: 会津の戦国大名相模国三浦郡芦名(神奈川県横須賀市芦名)をルーツとし、桓武平氏三浦氏の一族。鎌倉時代に会津に転じた。豊臣秀吉の時代には常陸国江戸崎(茨城県稲敷市)4万5千石を領したが関ヶ原の合戦に参戦せず、領地を没収された。 

# 陸奥国の会津の戦国大名桓武平氏三浦氏の一族で、名字の由来地は相模国三浦郡芦名(神奈川県横須賀市芦名)。源頼朝の奥州攻めの際に、三浦義明の子の佐原義連が功を成して会津地方に所領を賜ったのが祖。以後、鎌倉時代を通じて三浦氏は会津に所領を持ち、やがて一族が下向して芦名氏を称したが、詳細は不詳。室町時代の中期頃には会津を代表する国衆となり、応永16年(1409年)には北田氏、永享5年(1433年)には新宮氏を滅ぼして大名化していった。天文12年(1543年)に盛氏は山内舜通を討って会津をほぼ支配、二本松氏、須賀川二階堂氏、安積伊東氏をも破って全盛期を迎えたが、天正17年(1589年)に義広は摺上原合戦で伊達政宗に敗れて常陸国佐竹氏のもとに逃れた。翌天正18年(1590年)義広は豊臣秀吉小田原攻めに参加して常陸国江戸崎4万5000石で再興、このときに盛重と改名した。しかし、関ヶ原の合戦には佐竹氏とともに参加しなかったため所領を没収されて、佐竹義宣に従って出羽国に転じた。【出典

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