「津軽石」の名字の由来
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■ 津軽石(つがるいし)

【2021/03/24:改編】

# 岩手県の名字で盛岡市を中心にわずかにみられる。

# 陸奥国閉伊郡津軽石(岩手県宮古市津軽石)をルーツとし南部氏庶流

# 陸奥国閉伊郡国人。一戸南部氏庶流千徳氏の一族。文明年間頃に、沼里館の沼里氏を討って津軽石(岩手県宮古市)に住み、のちに払川館を築城して拠った。天正十一年(1583年)に勝富が千徳氏に謀殺されて滅亡した。【出典

# 津軽石(つがるいし): 岩手県宮古市津軽石。戦国武士津軽石氏の本拠地で旧陸奥国閉伊郡。津軽石氏は一戸南部氏の支族。始祖一戸行政の津軽石入部は享禄元年、沼里館の築城は永正年間と伝える。沼里館は判官館とも称す。津軽石の地名は行政が入部の際携えて来た津軽郡浅瀬石の奇岩にちなむ。奇岩は恵比須堂に祀る。沼里館から払川館に移ったのは大永2年という。【出典

・ 津軽石(つがるいし): 宮古湾奥、津軽石川下流域に位置する。地名の由来については、享禄元年、津軽石沼里館主一戸行政が、津軽の浅瀬石明神の奇石(津軽の石)を勧請したことによると伝える。しかし、津軽石川河口低湿地帯の水に漬(つか)る内(うち)の転訛、アイヌ語のツカル(アザラシ)ウシ(いる所)、あるいはチプ(舟)カル(作る)ウシ(所)の転訛とする説もある。また、津軽は遠蝦夷の意味に用いられたから、当地あたりも遠閉伊(へい)蝦夷の地か。中世初期には渋留(しぶとめ)村と称し、小集落が所々にあったが、のち総福沢と称したという。【出典

# 浅瀬石(あせいし): 青森県黒石市浅瀬石。汗石とも書いた。津軽平野南東部、浅瀬石川中流左岸に位置する。【出典

・ 汗石: 戦国期に見える地名。平賀郡山辺のうち、天文年間の津軽郡中名字に平賀郡山辺のうちとして「汗石〈近代浅瀬石ト書ク〉」と見える。なお,興国6年3月27日の北畠顕信御教書に安庶子(あそし)郷が見え、同郷名が当地名に転訛したものと思われる。地内の浅瀬石城は戦国期に千徳氏の居城で、本丸・二の丸・屋敷丸と出丸と思われる代官館・御堂館からなる。千徳政氏は大浦(津軽)為信の津軽統一に協力し、天正14年には浅瀬石城攻略のため出陣した南部勢3,000人を宇杭野合戦で破り、為信から7,000石を充行われたという。しかし,慶長2年千徳氏は謀反の廉で津軽為信に攻め滅ぼされたと伝える。【出典

# 津軽石駅(つがるいしえき): 岩手県宮古市津軽石。三陸鉄道

# 「石」のつく名字

# 「津」のつく名字

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