津軽家の人々
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■ 「津軽」の名字の由来

■ 津軽為信(つがるためのぶ)
# 戦国時代、青森県の津軽地方は南部氏の支配下にあったが、津軽地方南部の大浦城を本拠地とした大浦為信が反乱をおこした。秀吉の小田原攻めに際して、為信はただちに駆けつけたため、津軽の領地が安堵された。その後為信は津軽氏を称した。
# 1550−1608年。周辺の南部氏の城を次々と落として、津軽一帯や外ヶ浜などを掌握した。文禄・慶長の役などでも功を成し、関ヶ原の合戦にも参戦した。弘前藩の初代藩主。【出典

■ 津軽信順(つがるのぶゆき)
#  陸奥国弘前藩主。夜遊びが好きな「夜鷹大名」ですって。参勤交代の途中の本陣でも夜遊びをして、大金を使ったという。供家老高倉盛隆はいさめたが聞く耳をもたなかったため、福島の宿場で腹を切った。信順は1800年に、九代藩主の寧親(やすちか)の嫡男として生まれ、26歳の時に藩主を嗣いだ。 

■ 津軽信義(つがるのぶよし)
# 弘前藩10万石の藩主で、歌を詠む風流人だが、酒色におぼれる悪癖もあった。酒が入ると、ささいなことで腹を立てて、家臣を手討ちにした。特筆すべきは、弟の為盛の妻に値を上げたことで、その妻を城中に軟禁して帰宅を許さない。為盛は憤慨のあまり、我が子を殺して、切腹して抗議した。信義は津軽新田や尾太鉱山などを開発したが、37歳で病没した。【出典


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