「平山」の名字の由来 | |
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■ 平山(ひらやま)
【2023/02/16:改編】
# 212位: 「違い鷹の羽紋」【知っておきたい家紋と名字 別冊宝島】
# 平山(ひらやま): 武蔵国多摩郡の国人。多摩郡平山郷(東京都日野市)発祥で、武蔵七党の西党の一つ。源頼朝に仕えた平山季重は宇治川合戦や、一の谷合戦で名を上げた。1413年頃に平山三河入道が桧原城を築いて拠った。北条氏に従った。戦国時代、平山氏重は北条氏に従い、1590年に北条氏の滅亡の際に落城、氏重は子の新左衛門とともに自刃した。【出典】
# 平山(ひらやま): 大隅国姶良郡の国人。1282年に山城の石清水八幡宮別当寺善法寺検校の了清が正八幡宮(鹿児島神宮)領と帖佐郷平山村領家職を相伝、帖佐に来て石清水八幡を分祀した新正八幡宮(鍋倉八幡神社)を建立し、その西寄りに平山城(鹿児島県姶良市鍋倉)を築いたという。南北朝時代には正八幡宮の留守氏と争い、その後は島津氏に属した。1458年に島津季久が帖佐に入ったことで島津氏と争い、敗れて指宿に転じた。一族は曽於郡市成村(鹿児島県鹿屋市)に住んで市成氏を称した。【出典】
# 東京都日野市平山をルーツとする。武蔵七党の1つ西党から出た平山氏居住の地とされている。
# 青森県の平山家: 湊村(青森県五所川原市)の豪農で豪商。【出典】
・ 津軽郡湊村(青森県五所川原市)の豪農で豪商。南朝の遺臣の平山良信の末裔とも、武蔵の平山氏の末裔とも伝える。初代の半左衛門は湊村開村と同時に肝煎役(庄屋)となり、二代目の孫十郎は1690年に広田組の手代となり、以後代々手代を務めた。六代目の半左衛門の時に勘定小頭格に取り立てられ、漆の栽培に尽力した。【出典】
# 青森県の平山家
# 東京都の平山家
# 地形姓で全国にまんべんなく見られ、特に関東地方と北九州に多い。【出典】
# 武蔵の平山氏は武蔵国多摩郡平山郷(東京都日野市)をルーツとし、武蔵七党の西党の出。【出典】
# 肥後の平山氏は肥後国山鹿郡平山(熊本県山鹿市平山)をルーツとする。【出典】
# 大隅の平山氏は孝元天皇の子孫といい、南北朝期には島津氏に従った。 【出典】
# 「平山」の地名
# 「平」のつく名字。
# 「山」のつく名字。
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