「五所川原」の地名の由来 | |
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■ 五所川原(ごしょがわら): 青森県五所川原市
# 青森県五所川原: 五社を祭る河原を意味する五社川原が語源である。五社とは、中世には五柱の神を1箇所に合祀する習慣があった。そのような神社を五社神社と言うが「ごしゃじんじゃ」では発言し難いので、「ごぜじんじゃ」とよび「五所神社」となった。この五所が後に御所(ごぜ)の語源となった。
# 五箇所の川原のことというが釈然としない。「こそ(崩壊地形)」+「かはら(川原)」の転で、「浸食されやすい川原」のことか。【出典】
# 五所川原: 「平山日記」によると、寛文年間に岩木川が屈折したことにより五つの村ができたことに由来する。また、南朝の長慶天皇ゆかりの社の御神体が流れ着いたことから、古くは「御所川原」だったとも言われる。【出典】
# 五所川原(ごしょがわら): 青森県五所川原市。「平山日記」によると、寛文年間に岩木川が屈曲したことで、五つの村ができたことに由来する。古くは御所川原と書いたことから天皇に因むという伝承もある。【出典】
# 南北朝時代に、長慶天皇の御神体とされる祠が何度も洪水で流されて、その都度この地に漂着するため「御所川原」と呼ばれたが、恐れ多いので「五所川原」に改めたという。【出典】
# 五所川原駅(ごしょがわらえき): 青森県五所川原市字大町。JR東日本・五能線。岩木川や十川(とがわ)の氾濫で開発が困難をきわめたというように、たくさんの川の支流に寸断された地形で、五カ所(多くの)の川面をもった土地のこと。【出典】
# 五所川原(ごしょがわら): 「五所川原」は、正保2年(1645年)の津軽知行高之帳に、「五所川原」とあり、「平山日記」には、寛文年間に、岩木川が屈折したことによって、5つの村ができたことによるとあり、これが定説である。一方、古くは「御所川原」と書かれていたことから、天皇に因むという伝承もある。岩木川の上流にあった五所村に、南北朝時代の長慶天皇が崩御したところに御神体が祀られていたが、洪水によって現在の元町八幡宮近くに流れ着いたことから「御所川原」と呼ばれ、後に「五所川原」になったという。五所川原市には大きな飛び地がある。その中の市浦村地区は、昭和30年(1955年)に成立。それまであった「相内村」「脇元村」「十三村」が合併して成立した。本来は、もう一つの「太田村」も合併の予定で、「四浦村」とする予定だったが、「四」は縁起が悪いので「市浦村」とした。その後、平成17年(2005年)に五所川原市と金木町、市浦村が合併して五所川原市へ。【出典】