災害の伝承
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■ 令和元年10月12−13日の台風19号

・ 台風19号による大雨で、長野市穂保(ほやす)の千曲川の堤防が約70m決壊して、広範囲にわたって浸水した。その下流域の永沼地区にはJR東日本の新幹線の車両基地があり、10編成が被害にあった。聞くところによるとハザードマップでもこのあたりは5〜10mが予想されていた地区という。
この地域は以前から洪水被害があり、歌としても伝承されたそうだ。
・ 千曲川で史上最悪とされる「戌(いぬ)の満水」(1742年)では、長沼地区で168人が死亡し、家屋の流出は300戸にも及んだ。
・ 伝承の歌: 「おじいさんに聞いたんだ 遠い日の話 何もかもが流された 悲しい時代のことを 自然の猛威に人は なす術(すべ)もなく でも立ち上がり 一歩ずつ歩んできた」

■ 地震の連鎖

・ 慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震はいずれもM7.0程度と推定されるが、5日の間に連続して発生。【いつ来ても不思議でない 連鎖する地震、古文書に見る恐るべき民話の真実 高田泰 MBビジネス研究班】
※ 慶長三陸地震の八年後に肥後八代地震か。東日本大震災の五年後に熊本地震かぁ。昔から、地震は連鎖するんだよなぁ。慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震は5日の間に連続して発生してるしなぁ。その後、地震は大分、四国、神奈川と中央構造線に沿って東に進んだのか。

■ 長浜の地滑りの伝承

・ 1586年の天正地震。富山県では木舟城が倒壊し、前田利家の弟の秀継が亡くなった。長浜では山内一豊が、6歳の娘を失った。ルイス・フロイスの報告では、長浜にあった民家千戸の集落が、地面が割れて半数が倒壊、残りの半数は火事で焼失した。地滑りで、村ごと琵琶湖に沈んだらしい。かつての西浜村。【いつ来ても不思議でない 連鎖する地震、古文書に見る恐るべき民話の真実 高田泰 MBビジネス研究班】

■ 大分県の瓜生島の伝承

・ 瓜生島は別府湾にあった周囲100Km超える大きな島。戦国時代には5000人が住み、南蛮船もやってきた。1596年の慶長豊後地震で沈んだ。慶長豊後地震は別府湾南東部を震源、M7.0程度と推定。しかし、近年は沈没説よりも、沿岸部の地滑り説が優勢のようだ。
【いつ来ても不思議でない 連鎖する地震、古文書に見る恐るべき民話の真実 高田泰 MBビジネス研究班】

■ 雪の湊の伝承

・ 太平記によると、阿波国の雪の湊という浦に大津波が押し寄せて、1700世帯の漁村が沈んだ。1361の正平南海地震とされる。雪の湊は徳島県海部郡美波町の由岐地区と比定されるが、異論もある。その根拠は、由岐地区は平地が少なく、1700戸も家があったとは考えられないとのことであるが、1700戸自体が誇張や間違いであったとは言えないだろうか。
しかし、平家物語の記述に「平維盛が、讃岐の屋島を出て、阿波の雪の湊から鳴門の沖を航行した」とあり、矛盾があるらしい。しかし、このとき、平維盛はどこに行こうとしたのであろう?
そこで、雪の湊は亀島にあったのではないかという説が浮上する。
【いつ来ても不思議でない 連鎖する地震、古文書に見る恐るべき民話の真実 高田泰 MBビジネス研究班】

■ 徳島市の四所神社の伝承

・ かつて、徳島市の東沖約4Kmに亀島(現在のお亀磯)があり、戸数千戸を数えた。島の祠には二頭の鹿が狛犬の代わりにあった。信心深い老夫婦が毎日お詣りしていると、夢枕に神様が表れ「鹿の目が赤くなったら島が沈む。鹿を連れて逃げなさい。」と言った。この話を聞いて、「鹿の目を赤く塗る悪さをする若者があらわれ」、それを見た老夫婦は鹿を連れて逃げた。島の人達は老夫婦をバカにしたが、その夜に地震と津波によって島は沈んだ。老夫婦は、自分達が助かったのは鹿のおかげとして鹿を祀った。
※ 西岸良平の「鎌倉ものがたり」にも似たような話しが登場する。それが、四所神社を題材にしたものか、鎌倉にも同じような伝承があったのかはわからないが、こう言った話は全国にあるのではないだろうか。
・ 亀島が海中に沈んだとされるのは、1594年の文禄地震。
【いつ来ても不思議でない 連鎖する地震、古文書に見る恐るべき民話の真実 高田泰 MBビジネス研究班】

■ 週刊ポスト2018年6月15日号より

・ 2018年に入って、神奈川県の相模川では鮎が大量発生してが、地元の伝承では「鮎が豊漁だと地震が来る」。

・ 三陸地方の伝承では、「イワシが豊漁だと大地震がおきる」なのだそうだ。そして、明治三陸地震(1896年)と三陸沖地震(1933年)の直前にはいずれもイワシが豊漁だった記録がある。

・ 三重県南島町では1995年の阪神大震災の4日前に深海魚の「リュウグウノツカイ」が捕獲され、また2004年の紀伊半島南東沖地震の2か月前にもリュウグウノツカイが見つかっているそうだ。

・ 2016年4月の熊本地震発生の1か月半ほど前に、深海魚の「ワニグチツノザメ」が静岡県の沼津沖で水揚げされていた。

■ 津波を回避した地名

# 宮城県七ヶ浜町招又(まねきまた): 1611年の津波の時、浜を逃げ惑う人達に、こっちに上がってこいと招いた。東日本大震災でも、一番高い所は被災しなかった。
※ 似たような地名: 残家(のこりや)、経塚、浪分、念仏田

# 仙台市若林区霞目(かすみのめ)に浪分(なみわけ)神社がある。東日本大震災の津波もこの当たりで二手に分かれて神社は被害を免れたそうだ。たぶん、周囲より小高いところにあるんでしょうね。
・ 1611年の慶長地震による津浪が来た場所について建てられたのが浪分神社。東日本大震災による津波の到達地点の内陸部にある。ただ、当時の海岸線は今より内陸部にあったらしい。一説によると1年に1mずつ海岸が東に移動していたとのこと。

# 仙台平野の「イグネ」の一つの「長喜城(ちょうきじょう)地区」では百年に1回津波がくると言い伝えられていた。実際、東日本大震災の津波もこの集落の手前まで押し寄せた。 

■ 津波てんでんこ

・  「てんでんこ」とは、「てんでんばらばら」という意味で、「地震が来たら、家族がばらばらになっても逃げろ」という教え。

■ 津波伝承【 災害・崩壊・津波 地名解 太宰幸子著 彩流社】より

# 保呂毛(ほろけ): 宮城県南三陸町の水尻川の河口から1.5Km。津波が来たところをあらわす、アイヌ語の「ホロックル」に由来する。

# タタカイ沢: 宮城県南三陸町の水戸辺川上流。慶長年間の津波がここまで遡上し、海水と真水が戦った。このあたりには津波伝承の地名が多く存在する。

# ドの沢: 和歌山田辺市新庄。宝永の津波が両側から「ど〜ん」と打ち合ったことに由来する。

# 今切: 明応地震津波で、それまで淡水湖だった浜名湖の出口が切れたことに由来する。 

■ 神社の立地と移転
  東日本大震災による津波の際に、「延喜式」「神名帳」に記載された、いわゆる「式内社」のほとんどは被災を免れた。「延喜式」は貞観11年(869年)に三陸沿岸を襲った貞観地震の津波から約60年後の延長5年(927年)に編纂された。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 阿蘇山噴火のヨナと伝承
・ 阿蘇山周辺では噴火降灰のことを「ヨナ」という。
・ 「ヨナ」は粉状を示す古語ともいわれる。・ 「ヨナゴ」は「火山灰」や「砂浜の砂」を意味するという。
・ 「ヨナ(降灰)」を受けた「藁(わら)」「トウモロコシの殻」「刈り干し」を継続的に食べた牛は歯に異常を生じた。それは「ヨナ歯」と呼ばれ、歯に黒い斑点が生ずるという。「ヨナ歯」になった牛はよく水を飲むという。そして、水分を取り過ぎると下痢をおこす。「ヨナ降り」で腹をこわした牛への対処法。
(1) 硫黄塊を崩し、水に溶かして飲ませる。
(2) 猪の鼻または骨を煎じて飲ませる。
(3) マムシの焼酎漬けを飲ませる。・ ヨナ水を沢山飲んだ牛は流産するとも言われた。
・ 「ヨナ」の害は人間にも及び、熊本県阿蘇郡高森町色見小字山鳥の井上の集落の二軒の家では「歯の色が変わった」という。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 作家の幸田文の「崩れ」によると、日光男体山の山崩れ、現地では「崩れといわず、薙(なぎ)という。大薙、古薙、御真仏薙、観音薙、など沢山の薙ぎがある。」。
・ 宮崎県東臼杵郡椎葉村では、山地崩壊のことを「クエ」又は「グエ」といい、また「クエ引き」ともいう。現地に「クーチ」という家号の家があるそうだが、「クーチ」とは「クエ地」から転訛したものらしい。
・ 椎葉中学校: 住所は宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福だが、「クエン平」というらしい。これも「クエ」か。・ 紀伊半島でも、「クエ」「グエ」を使う。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 「ナギ」を崩れというのは、栃木県や山梨県、静岡県、長野県など広く見られる。・ 土のある崩壊地を「ナギ」、岩石の崩壊地を「ガレ」といった。・ 富山県、石川県、福井県、岐阜県では「ナギ」は「焼き畑」のこと。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 「クメ」
・ 静岡県では山崩れのことを「ナギ」と言うが、「クメ」も使う。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 「ツエ」
・ 島根県の石見地方、愛媛県の山間部、徳島県の山間部では、地滑り地帯などを「ツエ」という。これは大和言葉の「潰(つ)ゆ」に由来し、「潰える」を語源とする。※ 潰える: 形が崩れること。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 長野県や山梨県の一部では、「山地崩落」のことを「蛇抜け」と呼ぶ。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 山林を放置して、下刈りや枝打ちを怠ると、根張りが悪くなり山地崩落につながる。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 秋田県鹿角市では、雪崩のことを「ヒラオシ」というが、「ヒラオシ」は山地崩落をも意味する。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 古事記の「天若日子」神話では、雉子は天つ神の言葉を伝える鳴女(なきめ)として登場する。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 桜島の降灰で草が灰をあびると、その草を食べた牛は下痢をする。それを治すのに仔牛は正露丸4粒、成牛は9〜10粒与える。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 津波前にはイワシの異常豊漁、津波の後にはイカの異常豊漁
・ 「イワシで殺され、イカで生かされた。」【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 地震の前には小動物が一斉に高いところに上るという伝承が各地にある。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 静岡県牧之原市。深海魚が浅いところで獲れると津波がおきる。【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 東北地方の「白髪水(しらがみず、しらひげみず)伝説」
昔の一番大きかった洪水を、白髪水として記憶している。大洪水に先立って、白髪の老人があらわれて水害を予告したなど。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 中部日本の「やろか水」。濃尾平野の木曽三川の洪水に残る伝承。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】

■ 地震の伝承
・ 鯰が騒ぐと地震が起こる: 青森、茨城、富山、愛知、静岡。
・ 鯰が尾を振ると地震になる: 富山、愛知、奈良、和歌山。
・ 雉子が騒ぐと地震が起きる: 全国各地。
※ うちの近所で年中雉子が騒いでますが。
【自然災害と民俗 野本寛一 森話社】

■ 茨城県や宮城県の鹿島神宮(神社)にみられる「要石(かなめいし)」は、「地震をおさえる石」との信仰(伝承)がある。

■ 茨城県内の災害地名
・ 地名に示され土地に刻まれた災害の履歴: ヌマ(沼)、ムタ(牟田)、ニタ(仁多)、コガ(古閑)、カタ(潟)、ニイダ(新田)、クボ(窪)、ハチ(鉢)、ヤチ(谷地)。ぬける(抜ける)、くえる(崩える)、つえる(潰える)、はげる(剥げる)。ナギ、クラ、ホキ、ハケ、ザレ、ガラ、カケ、ダシ。【茨城県竜ヶ崎市

■ 和歌山県内の災害地名
・ 1889年の十津川水害: 字中古屋山、字新羽根上ェ山、字久保谷山、字「智ノ坂」などが崩壊あるいは亀裂発生箇所の小字地名などに該当する。【吉野郡水災誌小字地名にもとづく1889(明治22)年十津川災害崩壊地の比定・京都大学】

■ 岡山県高梁市市内の崩壊地名: 「秋町」、「大津寄」、「迫」、「狭門」、「笠神」、「大竹」、「井谷」、「肉谷」など。各地名の詳細は右記サイト参照。地名をあるく 96.災害と地名【岡山県高梁市】より。

■ 鹿児島内の災害地名: 「あれだし(鹿児島市田上の洗出)」、「くさ(川辺郡川辺町小野字草場)」、「くえ・くずれ(姶良郡姶良町の赤崩)」、「けくら」、「びしゃもん(日置郡日吉町毘沙門)」、「ひら(鹿児島市平之町)」、「りゅう(鹿児島市の竜ヶ水)」【鹿児島大学理学部地学科

■ 猫実(ねこざね) → 詳細

■ 東日本大震災の「悲劇」と「奇跡」
・ 岩手県釜石市の小中学校では、災害工学の専門家による指導で、「津波てんでこ」を日頃から学習し、避難訓練を重ねてきたため、生徒が急いで避難し、命を取り留めた。「津波てんでこ」は、海の近くで大きな揺れを感じたときは、肉親にもかまわず「てんでんばらばら」に高台に逃げ、津波から自分を守れという災害教訓。【天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書】


【参考資料】

・ 全国災害伝承情報(総務省)

・ 天災と日本人 − 地震・洪水・噴火の民俗学  畑中章宏 ちくま新書 

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