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■ アイザック・ニュートン: 「ニュートン」は古英語で「新しい定住地」という地名由来の姓。「アイザック」は旧約聖書に登場するイサクのことで、ヘブライ語で「笑う人」を意味する。【出典

■ アルキメデス: ギリシャ語の「archos(主人)」と「medomai(考える、心にとめる)」に由来する。【出典

■ アルバート・アインシュタイン: 「アインシュタイン」はドイツ語の「Ein(一つ)」と「stein(石)」からなり、「一つの石」を意味する。「アルバート」は「高貴な」という意味。【出典

■ アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王): ギリシャ語で「人民の守護者」を意味する。アラビア語やペルシャ語では「イスカンダル」とも呼ばれた。【出典

■ イエス・キリスト: 「イエス」はヘブライ語で「神の救い、救う者」を意味する。「キリスト」は古典ギリシャ語の「クリストス」が語源で、ヘブライ語のメシア(油を注がれた者)」の意味。【出典

■ エイブラハム・リンカーン: 「リンカーン」は、ゲール語の「Linn(池)」とラテン語の「colonia(植民地)」からなるイギリスの地名の「Lincoln」に由来する。「エイブラハム」は旧約聖書のユダヤ人の祖先で、「群衆の父」という意味。【出典

■ ガリレオ・ガリレイ: トスカーナ地方では、長男の名前に姓の単数形をつける風習がある。つまり、長男だったので、「ガリレィ」の単数形の「ガリレオ」と名づけられた。「ガリレィ」はイスラエル北東部の「ガラリア」の地名に由来する。【出典

■ クラーク: 1826−1886年。アメリカの教育者。新島襄の紹介で新政府が要請し、札幌農学校(現北海道大学)の教頭になった。キリスト教に基づく教育を行った。八ヶ月の滞在の後に、「少年よ、大志を抱け」の言葉を残して帰国した。【出典

■ グラバー: 1838−1911年。イギリスの貿易商人。1859年に、長崎でグラバー商会を設立。薩摩藩、長州藩などに武器を売り込んで巨利を得て、新政権を援助したが、後に破産した。後年は、三菱財閥の相談役になった。【出典

■ クレオパトラ: ギリシャ語の「kleos(名声)」と「pater(父)」に由来し、「父の誉れ」の意味。【出典

■ シーボルト

■ 釈迦(しゃか): 本名はゴータマ・シッダッタ。「ゴータマ」は「最上の牛」のこと。「シッダッタ」は「目的を成就した人」の意味。「仏陀(ブッダ)」はサンスクリット語で、「悟った人」の意味。【出典

■ ジャンヌ・ダルク: 「ジャンヌ」は「ジョン」の女性形。ヘブライ語で「神は恵み深い」の意味。「ダルク」は「arco(弓)」の射手や作り手、橋や橋のそばに住んでいたことに由来するなどの説がある。【出典

■ ソクラテス: 古代ギリシャの哲学者。ギリシャ語の「sos(完全な)」と「kratos(力)」に由来する。【出典

■ ダライ・ラマ: 「ダライ」はモンゴル語で「大海」、「ラマ」はチベット語で「師」のこと。「ダライ・ラマ」はモンゴル語の尊称で「知恵の海」という意味。【出典

■ チャールズ・チャップリン: 「チャップリン」は古英語で「礼拝堂の聖職者」を意味する。【出典

■ ナウマン: 1850−1927年。ドイツの地質学者。来日後、地質調査所を設立。全国の地質図を作成して、日本の地質学に大きく貢献した。「フォッサ・マグナ」の命名者。「ナウマン象」は彼を記念して命名された。【出典

■ ナポレオン・ボナパルト: 洗礼名の「ナブリオーネ・ブォナパルテ」をフランス風の「ナポレオン・ボナパルト」に改名。「ナポレオン」はイタリア語の「ナポリ」+「leone(獅子)」。「ボナパルト」はイタリア語で「良い場所」の意味。【出典

■ ニコラウス・コペルニクス: 「コペルニクス」はポーランド語で「銅屋」のこと。「ニコラウス」はギリシャ語で「勝利」と「人々」からなる言葉。【出典

■ パークス: 1828−1885年。イギリスの外交官。1865年に、駐日全権公使になり、18年にわたってその任を務めた。薩摩藩・長州藩と積極的に関わったため、幕府側についたフランスのロッシュと対立した。江戸城の無血開城にも尽力し、戊辰戦争では中立の立場をとった。【出典

■ ハリス: 1804−1878年。アメリカの外交官。苦学したことから貧困家庭の子弟のため学校「フリーアカデミー」を創設した。アジア貿易に目を向け、希望がかない初の日本領事になった。十三代将軍の徳川家定と謁見し、日米通商修好条約を締結に導き、公使になったが、病気のために帰国した。【出典

■ ピタゴラス: 古代ギリシャの哲学者で数学者。ギリシャ語の「Python(ニシキヘビ)」と「agora(広場)」に由来する。出典

■ プチャーチン: 1804−1883年。ロシア海軍元帥。ロシア艦隊司令長官兼遣日使節に任命され、1853年に、長崎入港。ペリーに対し、共同行動を提案したが拒否された。2年後に日露和親条約を結んだ。【出典

■ プラトン: 祖父の名より「アリストクレス」と命名されたが、肩幅が広かったために「プラトン(広い)」と呼ばれ、そのあだ名の呼び名が定着した。 【出典

■ フランシスコザビエル: 1506−1552年。カトリック教の司祭。聖人。イエズス会の創始者のひとり。ポルトガル王のジョアン三世の依頼で、インドを経て1549年に、日本に初めてキリスト教を伝えた。【出典

■ フロイス: ルイス・フロイス。1532−1597年。ポルトガル出身のカトリック教の司祭。織田信長豊臣秀吉に謁見して、日本で宣教した。【出典

■ フローレンス・ナイチンゲール: 「フローレンス」は、イタリア語で「フィレンツェ(花の都)」の英語読み。母親がフィレンツェに滞在中に生まれたことに由来する。「ナイチンゲール」は「サヨナキドリ」という鳥の名前。【出典

■ ヘボン: 1815−1911年。アメリカの宣教師・医師。横浜で診療所と塾を開設。聖書の翻訳に着手。日本語をローマ字でつづって表記。「ヘボン式ローマ字」と呼ばれた。【出典

■ ペリー: 1794−1858年。アメリカの海軍軍人。父、兄共に海軍軍人。蒸気船の建造にも携わった。日本開国の指令を受けて、1853年に4隻の蒸気船で浦賀に入港。翌年に、日米和親条約を結んだ。【出典

■ ポンペ: 1829−1908年。オランダの軍医。西洋医学の教師として長崎の海軍伝習所で教えた。日本で初の洋式病院を設立。身分や貧富にかかわらず治療をした。【出典

■ ヤン・ヨーステン: 1556?ー1623年。オランダの航海士。日本名は耶揚子(やようす)。ウィリアム・アダムスとともに、リーフデ号で漂着。家康の信任を得て朱印船貿易に携わった。日本人と結婚して屋敷を与えられた。東京八重洲の地名は彼の名前に因む。【出典

■ レオナルド・ダ・ヴィンチ: 本名はレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ。「ヴィンチ村出身のセル・ピエロの(息子の)レオナルド」という意味。レオナルドはラテン語の「ライオン」とゲルマン語の「堅い」が合成された男性名。「セル」は敬称。【出典

■ ロッシュ: 1809−1900?年。フランスの外交官。国民軍軍人から外交官になった。1864年、二代目の駐日公使として来日した。横須賀製鉄所を建設するなど、幕府支援の立場で、十五代将軍の徳川慶喜に幕政改革を進言した。イギリス公使パークスと対立した。【出典


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