福岡県内の「高橋」の名字の詳細
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■ 高橋(たかはし): 福岡県の高橋家

# 福岡県の高橋家: 中流貴族の大蔵氏庶流筑後国国司となり筑後国で勢力をもったが、戦国時代には大友家の家臣となった。【出典】 

# 筑後国戦国大名大蔵姓原田氏の子孫で、名字の由来の地は筑後国御原郡高橋(福岡県三井郡大刀洗町)。南北朝時代には足利尊氏に従い、多くの庶子家を出した。天文3年(1534年)の長種の死去で嫡流は断絶、大友氏の一族で一万田親敦の二男の鑑種が名跡を継いだ。以後は大友氏の重臣になったが、永禄10年(1567年)には秋月氏らとともに大友氏に叛いて岩屋城に籠城した。永禄12年に岩屋城は開城して、代わって吉弘鑑理も二男の鎮種が入城し、あらたに高橋鎮種となった。天正9年(1581年)に、子の統虎が立花道雪の養子になって宗茂を称し、以後は高橋紹運・立花宗茂父子は大友氏に属した。天正14年(1586年)に島津氏の筑前侵攻の際に、鎮種は岩屋城を死守して討ち死にした。一方、岩屋城を追放された鑑種は天正7年(1579年)に再び大友氏に叛いて、豊前国田川郡の香春岳城に拠った。同年に死去すると、秋月種実の二男が継いで高橋元種になって。豊臣秀吉に従って日向国松尾城で5万石を賜った。【出典

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