福岡県内の「小笠原」の名字の詳細
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■ 小笠原(おがさわら): 福岡県の小笠原家 

# 福岡県の小笠原家: 小倉藩主甲斐国巨摩郡小笠原(山梨県南アルプス市)をルーツとし、清和源氏加賀美氏の出。阿波国守護や信濃の守護を努めた。戦国時代武田信玄に信濃を追われ織田信長に仕えた。江戸時代には豊前国小倉15万石。

・ 小倉藩主。信濃国の戦国大名の深志小笠原氏末裔清和源氏の出で、加賀美遠光の二男の長清が甲斐国巨摩郡小笠原(山梨県南アルプス市)に住んで小笠原氏を称したのが祖。貞慶は徳川家康に仕え、1590年の関東入国では秀政が下総古河3万石を与えられた。関ヶ原の合戦後、信濃飯田5万石を経て、1613年に松本8万石へ。
1615年の大坂夏の陣では秀政・忠脩父子が戦死。二男の忠真が松本藩を継いだ。1617年に播磨明石10万石を経て、1632年に豊前小倉15万石に転じた。1866年の第二次長州戦争では長州藩に敗れて小倉城が落城。田川郡香春に藩庁を移して香春藩となった。明治時代には伯爵。【出典

# 福岡県の小笠原家: 小倉新田藩主小倉藩小笠原家の分家。 

・ 豊前国の千束(ちづか)藩(豊前市)藩主。小笠原忠真の四男の真方は1671年に兄の忠雄から上毛郡で新田1万石を分知されて、小倉新田藩を立てたのが祖。四代貞盛は若年寄を務めた。1869年に居所を上毛郡千束に移したため、千束藩改称した。明治時代には子爵。【出典】 

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