兵庫県内の「荒木」の名字の詳細 | |
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■ 県内123位: 荒木(あらき): 兵庫県の荒木家
# 兵庫県内では、姫路市以東に多く見られる。特に丹波市の旧市島町と姫路市の旧家島町にまとまってみられる。【出典】
# 兵庫県の荒木家: 但馬出石藩の家老。慶長年間に重勝が仙石忠政に仕えたのが祖。【出典】
# 摂津国の戦国大名。藤原北家秀郷流の波多野氏の一族で、氏義が丹波国天田郡荒木(京都府福知山市堀荒木)に住んで荒木氏を称したという。伊丹城に拠った伊丹荒木氏と、摂津花隈城に拠った花隈荒木氏の二流があった。伊丹荒木氏は高重(義村)が摂津国の国人だった池田勝正に仕えたのが祖。永禄11年(1588年)に勝正とともに織田信長に降り、やがて池田氏が内訌で没落すると、子の村重は池田氏に代わって台頭し、天正元年(1573年)に茨木城主になった。さらに高槻城の和田惟政を追い、槙島城で挙兵した足利義昭を討って信長から摂津一国を賜った。翌年には主家の池田勝正を追放し、さらに伊丹城主の伊丹忠親を滅ぼして伊丹城に拠って、伊丹城を有岡城と改めた。天正6年に信長に叛いて毛利氏方に転じ、10ヵ月の籠城後に落城した。村重は落城前に城を逃れ、本能寺の変ののちには堺に住んで茶の宗匠になった。一方、花隈城の荒木元清は村重のいとこで、村重に仕えて1万8000石を領した。天正8年(1580年)に伊丹城の落城後には、豊臣秀吉に仕えたが、文禄4年(1595年)に豊臣秀次に連座した。子孫は荒木流の馬術家として江戸幕府に仕えた。【出典】
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