滋賀県内の「浅井」の名字の詳細 | |
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■ 浅井(あさい): 滋賀県の浅井家
# 近江の浅井氏は近江国浅井郡(滋賀県長浜市付近)をルーツとする。戦国武将の浅井氏はこの系統。浅井長政の家紋。
・ 近江国の戦国大名。「寛政譜」では、公家の正親町三条公綱が勅勘を被って近江国丁野(よおの)に蟄居中に一子を設け、後に京極氏に仕えたという落胤説を伝えるが、公綱には勅勘を被った事実はなく、またそれ以前から同地には浅井氏の名が見えることから、伝説にすぎない。なお、「竹生島縁起」には奈良時代の人物として浅井磐稲・広志根の名があり、古代から同地に浅井氏がいたことがうかがわれる。浅井三代の祖である亮政以前は、近江国浅井郡丁野郷(滋賀県長浜市湖北町)で、古くから京極氏の被官だったことしか分からない。浅井氏の傍流から本家を継いだ亮政は、1525年に京極氏の内訌に際して、京極高清を小谷城下に迎えてその実権を握った。子の久政の代には、北近江の国人層を自らの被官として京極氏から独立、南近江の六角氏と激しく争った。1560年に家督を継いだ長政は、六角氏の内訌に乗じて南近江も支配し、さらに織田信長と結んで信長の妹のお市の方を正室に迎え、近江一国を支配する戦国大名となった。しかし、1570年に信長が朝倉氏を攻めると信長と対立し、1573年に小谷城で敗れて自刃し、滅亡した。長政とお市の方の間に生まれた長女は豊臣秀吉の側室の淀君で、三女の江(ごう)は三代将軍徳川家光の生母であり、第109代明正天皇の祖母にあたる。【出典】
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