静岡県内の「杉山」の名字の詳細
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■ 4位: 杉山(すぎやま)

# 椙山とも書く。杉山の名字は、静岡市、清水市、沼津市、三島市、金谷町、伊豆長岡町などでは2〜3位以内。【出典】

# 榛原郡川根徳山(中川根町)城主の土岐氏は南朝方に味方し、北朝方の今川範氏のために落城したが、家老の杉山家はこの地に隠棲し、日掛や文沢地区(中川根町)の杉山氏はその末孫と伝えられる。【出典

# 藤原氏流の駿河守高則の十代孫の若狭守宗広は1300年に下和田(裾野市か?)に来住し、ついで元吉原に移り、後に津浪のため吉原駅に移住し、脇本陣を営んだ。後裔の応助宗義は江戸に出て草津代官の石原氏に仕え、その子の帰一は長崎でシーボルトに蘭学や医術を学び、天保飢饉のときに帰郷して蘭方医業を続け、二代目の帰一もその跡を継いだ。宗義の後の吉原杉山氏は、養子の徳義が継ぎ代々平左衛門を称した。【出典

# 有度郡高松村(静岡市)に永享年間に、杉山新左衛門がおり、子孫はこの地に永住した。天文年間末期に、駿東郡泉郷(清水町)の住人の杉山善二郎、縫殿助は今川氏に属したが、近郷の一色村(長泉町)の杉山氏の祖は本姓は上杉氏で、甲斐国杉山に住んで杉山氏を称したという武田家の旧臣で、武田家の滅亡後に、この地に来住したと伝える。【出典

# 今川義元に属した杉山惣兵衛は1545年に井出郷(沼津市)を領し、後に武田氏に属し、また今川氏の旧臣の小兵衛は志太郡三輪(岡部町)を知行した。【出典

# 伊東の杉山氏は、藤原南家の工藤伊東氏流といい、延徳年間に宇佐美(伊東市)の安立寺を創立、永禄年間初期に厚木村(韮山町)を領した北条氏の家臣の杉山彦五郎がいた。土肥(土肥町)の杉山氏は藤原氏の流裔といい、土肥杉山(相模土肥か)に住んで杉山氏を称し、重政の子の和一は盲目の為に鍼治の業を修めて四代将軍家綱に仕え総検校となり、杉山流鍼灸術の祖で子孫は旗本。【出典

# 鎌倉時代初期に、源義経の郎党として活躍した熊野出身の鈴木三郎重家は義経を追ったが間に合わず、三保から舟で江梨村(沼津市)に着き、杉山と改姓して、この地に土着したという。【出典】 

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