山梨県内の「小山田」の名字の詳細 | |
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■ 小山田(おやまだ): 山梨県の小山田家
# 山梨県の小山田家: 武蔵国小山田(東京都町田市)をルーツとする。桓武平氏の秩父家の一族。後に武蔵から甲斐に移り住み、郡内(山梨県大月市)に拠った。【出典】
# 甲斐国都留郡を本拠地とし、中津森館に拠った。勢力を拡大していったが、享禄3年(1530年)に中津森館は失火により焼失した。小山田信有は、中津森館の焼失をうけて本拠地の移転を決意し、享禄5年に谷村にあらたな居館を築いた。ここは、関東から富士吉田に抜ける谷村道が通り、富士参詣の道者たちや商人などが往来するなど、物流の要所であった。【出典】
# 甲斐国の国衆。武蔵国の小山田有重の三男の行重が甲斐国に転じて郡内の小山田氏になったという。また、戦国時代の小山田氏は本来藤原姓で、平姓の小山田氏の名跡を継いだものともいう。いずれにしても、南北朝時代には甲斐国の守護の武田信満と縁戚関係になるなど、甲斐国の有力国人であった。戦国時代には、三代続けて信有を称して、事績は混乱が見られる。武田信虎の妹を娶って武田氏の重臣をつとめた一方、北条氏からは武蔵国小山田荘の領有も認められたという。信茂は武田信玄・武田勝頼の重臣で、天正10年(1582年)に武田勝頼の滅亡の際には勝頼を居城の岩殿城に迎える予定だったが土壇場で裏切った。その後、織田信忠に出仕したが処刑され、滅亡した。【出典】
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