福井県内の「堀江」の名字の詳細
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■ 堀江(ほりえ) 

# 越前国坂井郡の国衆藤原北家利仁流の斎藤氏の一族。越前国坂井郡堀江荘(福井県あわら市)の荘官をつとめた。室町時代には守護斯波氏のもとで、三国湊(福井県坂井市)の代官をつとめた。その後、惣領の石見守家と、庶子家の本庄家・細呂宣家などに分かれ、守護の斯波義敏と守護代の甲斐常治が争った長禄合戦では、惣領家が守護方に、庶子家が守護代方に分かれ、長禄3年(1459年)に惣領家の利真が討ち死にして没落した。のちに、加賀国江沼郡山代荘南郷(石川県加賀市)に転じ、文明3年(1471年)に越前国で朝倉孝景と甲斐氏の抗争がおきると、景実・景用父子は朝倉方について甲斐氏を攻めた。以後、戦国大名になった朝倉氏の重臣として活躍する一方、独自の支配地をもつ国衆でもあった。永禄10年(1567年)に景用の子の景忠が加賀一向一揆と結んで朝倉義景に叛旗を翻して、敗れて能登国に逃れた。景忠は朝倉氏の滅亡後に越前国に戻って、天正3年(1575年)に織田信長に仕えたが、翌年佐久間盛政に誅殺されたという。【出典

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