石川県内の「長」の名字の詳細
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■ 長(ちょう): 石川県の長家

# 石川県の長家: 能登国の豪族清和源氏の出で、大和国の長谷部氏の末裔。長谷部信連は、以仁王の挙兵の際に王を園城寺に逃したことで、平家に捕らえたれ鳥取県日野町に流された。平家の滅亡後、源頼朝から能登国珠洲郡大屋荘の地頭に補されて移り住み、子孫が長谷部を短くして「長」と名乗った。室町時代には能登国の畠山氏守護代として穴水城で能登の実権を握り、戦国時代までは続いたが、上杉謙信に敗れて落城した。その後は、織田信長に従い、江戸時代には加賀藩家老として3万3000石。明治維新後は男爵。【出典

・ 加賀藩の家老清和源氏の出で、長谷部為連が三河国長馬(愛知県岡崎市)に住んで長馬氏を称し、その子の信連が遠江国長村(静岡県)で生まれたため長氏を称した。信連は源頼朝に仕え、能登国大屋荘(石川県輪島市・穴水町・能登町)の地頭となった。室町時代には能登畠山氏の下で守護代となり、1579年に上杉謙信によって能登畠山氏が滅亡すると、続連・綱連父子も殺されて長氏はいったん滅亡した。七尾城落城の際に脱出した連龍(好連)は織田信長に仕え、1580年に能登福光城で3万石を領して長氏を再興した。1582年からは前田利家に属し、江戸時代には加賀藩の家老。陪臣だが3万3000石を領し、明治時代には男爵。【出典】 

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