栃木県内の「那須」の名字の詳細 | |
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■ 那須(なす): 栃木県の那須家
# 栃木県の那須家: 藤原北家の出で、下野国那須を本拠とした。鎌倉時代には御家人となり、一族の芦野家や福原家などを那須郡に配し那須党を組織した。江戸時代には那須1万4千石。【出典】
・ 秀吉の小田原攻めへの参陣で遅れ、烏山城は没収されたが福原1万4千石で残った。
・ 交代寄合。下野の戦国大名の那須氏の子孫。藤原道長の六男の長家の子孫と伝えるが、古代豪族の那須国造の末裔ともいう。資晴は1590年の豊臣秀吉の小田原攻めに際して参陣しなかったことから8万石の所領が没収された。子の資景が秀吉に謁見して福原で5000石を与えられて那須家を再興、関ヶ原の戦い後那須藩1万4000石を立藩した。1642年に二代資重が没後、西尾藩の初代藩主の増山正利の弟の資弥(資祇)が養子となって、5000石の旗本として再興した。資弥の姉のお楽の方は三代将軍家光の側室となって四代将軍家綱を産んだことから、資弥も1664年に5000石を加増されて大名となり、下野烏山藩を立藩した。1684年に家督争いで再び改易、1700年には資徳が召し出されて再興、1708年には交代寄合となった。【出典】
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