茨城県内の「江戸」の名字の詳細
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■ 江戸(えど)

# 常陸国戦国大名藤原北家秀郷流。南北朝時代、那珂通泰は北朝方の高師泰に従い、那珂郡江戸郷(茨城県那珂市下江戸)を与えられて、その子の通高が江戸氏を称した。応永23年(1416年)の上杉弾秀の乱では守護佐竹氏のもとで通房が活躍、馬場氏大掾氏)から水戸城を奪って水戸に拠った。本来、江戸氏は佐竹氏の被官だったが、永禄年間には通長は南進して鹿島郡に進出、一方佐竹氏の内訌に乗じて佐竹領にも進出するなど、佐竹氏の被官を離れて、常陸国戦国大名となった。やがて佐竹氏と対立し、天文年間には対立した。さらに天正年間には大掾氏と争った。天正16年(1588年)に内訌が起こって当主の重通の嫡男の通升が討ち死。天正18年(1590年)の豊臣秀吉小田原征伐には重通が参陣しなかったことから、佐竹義宣に攻められて落城、妻の兄であるである結城晴朝のもとに逃れた。重通の二男の宣通は結城秀康に仕えて水戸氏改称した。【出典

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