龍造寺家 | |
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■ 龍造寺家(りゅうぞうじけ): 「龍造寺」の名字の由来
・ 代表家紋: 「十二日足紋」
・ 在庁官人の高木氏の出で、文治2年(1186年)に肥前国佐嘉郡龍造寺の地頭となり龍造寺氏を称した。戦国時代末期には島津氏に従ったが、鍋島家に実権を奪われた。【戦国大名「御家」系譜事典 宝島社 監修:森岡浩】
# 龍造寺氏は、藤原氏系の高木氏の庶流。肥前国の名族だった高木氏は藤原道長の甥で、「刀伊の入寇」で活躍した、太宰府の権師の藤原隆家の子孫。鎌倉時代に高木季家が肥前国佐賀郡龍造寺の地頭となって龍造寺氏を称した。龍造寺高房は実権を鍋島家に奪われ、その子の季明は山形藩の保科正之に預けられ、子孫は会津藩士。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】