| 「佐賀県」名の由来 | |
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■ 佐賀県: 佐賀県佐賀市
# 佐賀県: 水辺の砂州を意味する「スカ」が「サガ」に訛った。
・ 他に「栄える」、「坂」、「狭処(さか)」など諸説ある。大和尊命の熊襲の征伐の伝説では「楠木が沢山生えているので栄(さかえ)の国にせよ」といったとか。
・ 肥前風土記によると、「楠の大木が茂り栄える佐賀の地を『栄の郡』と呼んだ」ことに由来する。
# 肥前国の風土記によると、この地には楠が茂っており、それをみた日本武尊が、「この国の栄の国と命名せよ」と言ったという。そして、「栄の国」が「佐賀」となったという。【なるほど日本 地名の由来 雑学大辞典 ISM Publishing Lab./ゴマブックス】
# 佐賀: 肥前風土記によると、日本武尊が巡幸したとき、大きな楠がそびえているのを見て、「此の国は栄(さか)の国と謂うべし」と言ったことから「栄の郡」となり、改めて「佐嘉郡」と呼ぶようになった。明治時代になって「嘉」が「賀」に改められ、「佐賀」となった。また、この地にいたふたりの女性が、占いにより荒ぶる神を静めたことから、「賢女(さかしめ)」と呼ばれたことが由来という説もあるが、伝説の域を出ない。【出典】
# 佐賀(さが)の地に盤踞した松浦党は「嵯峨(さが)源氏」の出だが、同じ「さが」であることに、なんらかの因縁はあるのか?
# 佐賀駅(さがえき): 佐賀県佐賀市駅前中央。長崎本線。京の嵯峨野のように、山から緩傾斜しているところ。つまり「坂」。肥前国風土記には、日本武尊がこの地にクスノキが茂り栄える様子を見て「栄(さか)の都」と称したとある。【出典】
# 佐賀(さが): 佐賀県佐賀市。院政期から記録のある地名であるが、「風土記」の「佐嘉郡」の起源となった地と推定される。サカ(坂)の濁音化したものだろう。【出典】
# 佐嘉(さか): 肥前国佐嘉郡。佐賀県佐賀市。「坂」が二字佳名になったもの。また、清音が濁音になったのも音韻の変化はよくある例。坂の二字化は、佐香・佐加・佐我など古代はかなりの漢字が当てられた。また、佐賀市については伝説が多くあり「栄えた都」として囃された。【出典】
■ 佐嘉(さか)の郡: 佐賀県佐賀市
・ 郷は六所。里は十九。駅は一所。寺は一所。昔、樟(くす)の樹が一本この村に生えていた。幹も枝も高くひいで、茎葉はよく繁り、朝日の影は杵嶋郡の蒲川(かまかは)山を蔽い、夕日の影は養父の郡の草横(くさよこ)山を蔽った。日本武尊が巡幸された時、樟の茂り栄えたのをご覧になって、勅して「この国は栄(さか)の国というがよい」と仰せられた。そういうわけで栄(さか)の郡といった。後に改めて佐嘉の郡と名づけた。ある人はこうも言う。郡の西に川がある。名を佐嘉川という。年魚がいる。その源は郡の北の山から出て、南に流れて海に入る。この川上に荒ぶる神があった。往来の人を、半分は生かし半分は殺した。ここに県主(あがたぬし)らの元祖の大荒田が占問(うらど)いして神意をお伺いした。時に土蜘蛛大山田女・狭山田女というものがいたが、この二人の女子がいうには「下田(しもだ)の村の土を取って、人形(ひとがた)・馬形を作ってこの神をお祭りすれば、かならずおとなしく和(やわら)ぎなさるでしょう」といった。そこで大荒田はその言葉のままにこの神を祭ったところ、神はこの祭を受納してついに和(なご)んだ。ここに大荒田は「この婦人はじつにまことに賢女(さかしめ)である。それゆえに、賢女という言葉をもって国の名としたいと思う」といった。そういうわけで賢女の郡といった。いま佐嘉の郡と呼ぶのは訛ったのである。また、この川上に石神がある。名を世田姫(よたひめ)という。海の神が毎年毎年流れに逆らって潜り上がってこの神のもとに来る。海の底の小魚が沢山従って上がる。その魚をおそれかしこむ人にはわざわいがないが、またその反対に、人がこれを捕って食ったりすると死ぬことがある。すべてこの魚どもは二、三日とどまっていて、また海に還る。【出典】