「車」の家紋の解説
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■ 「車」の家紋の解説: 「車」の家紋図 

# 車紋は平安時代の御所車の車輪をモチーフとした。その車輪は、尚美的意義による文様として歴史が古く、水に浸して乾燥を防ぐ風情が多く描かれ半車の基になった。源氏車紋は日本で最も多い佐藤の名字で使用され、伊勢外宮の神官になった一族が外宮奉献の白布につけられていた車輪の文様を家紋にしたという。佐藤氏の一族で、伊勢神宮に榊を奉納した土地に住み着いたという榊原氏も使用した。江戸時代の大名では、讃岐国高松藩生駒家で、また幕臣では三十余氏が使用した。佐藤の名字が多い、東北地方に多く見られる。【出典

# 車紋【出典
・ 公家が使用した御所車の車輪を文様としたもの。藤原北家秀郷流の佐藤氏で使用され、伊勢神宮の外宮の神官になった一族が外宮奉献の白布についていた車輪紋を家紋にした。日本で一番多い名字の佐藤氏が使用し、全国に普及した、
・ 源氏車紋、生駒車紋、榊原車紋、陰源氏車紋三つ割り重ね源氏車紋、源氏車に矢紋。  

# 車紋(くるまもん): 車紋のもとは、御所車(公家が乗る牛車)の車輪。そのあでやかな文様は「源氏物語」を連想させるためか、「源氏車」と呼ばれるようになった。車紋には、車輪の骨が八本と十二本の二種類がある。十二本のものは、伊勢神宮神官から出た榊原氏の紋で、とくに「榊原車」と呼ばれる。また、全国一位の名字である佐藤氏は伊勢国を本貫とし、伊勢信仰を全国に広めるために、神官・御師となって全国に散った。この佐藤氏は源氏車を代表家紋とした。【出典】
# 波切り車紋: 生駒氏の家紋は源氏車。生駒水軍は、秀吉の朝鮮出兵の折り、嵐をついて敵船に襲いかかり、軍功を立てた。このときに、矢砲の中を突き進む船に飾る幕に源氏車の紋がついていた。この紋の下半分が波間に隠れると、車輪が波を切って勇ましく進むように見えた。これを伝え聞いた秀吉は、賞するとともに、生駒氏に対して、半輪をもって家紋とせよと命じた。生駒氏では、これを「波切り車紋」と呼んで、以後半輪紋にした。「車紋」は榊原家佐藤家太田家河村家及川家三宅家桜井家。「水車紋」は土井家柴山家。「風車紋」は片桐家関家山崎家島家、室家などに見られる。【出典

# 車紋: 牛車の御所車を象った源氏車が代表的で、その美しさから家紋として使用された。佐藤家の代表家紋である。車紋の種類としては他にも水車紋や風車紋があり、水車紋の使用家は土井家柴山家など。風車紋は片桐家関家島家など。【出典

家紋の図柄

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