徳川家の家紋
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■ 徳川家: 「徳川」の名字の由来

# 代表家紋:    

・ 徳川家康: 三つ葉葵紋三つ葉葵紋はもともと京の賀茂神社の神紋。もともと賀茂神社の神職を務めた本多家の「三つ葉葵紋」と松平家の「丸に立葵紋」を交換したという説と、家康の先祖が松平家の分家の酒井家の「三つ葉葵紋」を献上させ、代わりに「片食紋」を授けたという説がある。徳川家康は三つ葉葵、新田家二つ引両紋を用いた。 

# 徳川家康: 葵紋。【出典

# 徳川家康(とくがわいえやす): 三つ葉葵紋。三方ヶ原の戦いで一方的な敗北をした家康は、命からがら浜松城に逃げ帰った。このとき、家康はあまりの恐怖で脱糞したという。城に着いた家康はわずかばかり平静を取り戻して、城の全ての門を開いて篝火を煌々と炊き、空城の計をもって追撃をかわした。そしてこの悔しさを生涯忘れないように、苦渋の表情の肖像画を描かせたという。【出典

# 徳川家【出典
・ 剣三つ銀杏紋(けんみついちょうもん): 家康の父親の松平広忠の菩提寺の松応寺に伝わる紋で、葵紋以前に使用していたという説もある。

・ 徳川葵紋(三つ葵紋): 当初の三つ葵は写実的にデザインされたものだったが、のちに単純化された。

・ 賀茂葵紋(二葉葵紋): 実際のフタバアオイは葉が二枚で、賀茂葵では写実的に表現した。

・ 三河国の山間部の土豪だった松平氏は、清和源氏新田氏庶流の得川氏から発祥したと伝えられる。それを家康が、朝廷の許可を得て先祖の名字にちなんだ「徳川」に改姓した。家紋の「三つ葵紋」は、すでに戦国時代前期には使用していたという。こちらは、松平氏が京都の賀茂神社の禰宜の賀茂氏の子孫の賀茂朝臣」??を称していたことに由来し、賀茂神社の神紋である「二葉葵(ふたばあおい)」をアレンジしたという説が有力。家康が新田氏の一族の徳川に復姓したのちも葵紋を使用し続けた。ちなみに、松平氏の家紋は、江戸時代の記録から、菩提寺である松応寺(しょうおうじ)にあった「剣三つ銀杏紋(けんみつぎんなんもん)」との説もある。

# 徳川光圀: 水戸三つ葵紋。裏葉三枚。【出典

家紋の図柄

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