関宿藩
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■ 関宿藩(せきやどはん): 千葉県野田市関宿

・ 「関宿」の地名

・ 久世家4万8千石・譜代大名

・ 1705年に再封。

・ 元総理大臣の鈴木貫太郎は千葉県の関宿藩の出身だが、出生地は大阪府堺市にあった、関宿藩の飛び地。

・ 牧野成貞: 下総国関宿藩主。江戸時代、全国に200カ所くらいの温泉が確認されていた。江戸庶民に人気があったのは、熱海、箱根、那須、塩原、草津。五代将軍徳川綱吉側用人だった牧野成貞は、将軍徳川綱吉が1709年に麻疹にかかり、64歳で亡くなった後、弔意を表して剃髪した。その翌年に播磨の有馬温泉に行った。徳川綱吉時代の側用人と言えば柳沢吉保を思い浮かべるが、初代側用人は牧野成貞だったのか?成貞は1634年に徳川綱吉の守り役をした牧野儀成(のりなり)の二男として生まれた。徳川綱吉が館林藩主になると儀成は家老になり、成貞は27歳まで徳川綱吉に仕えた。1680年に徳川綱吉が五代将軍になると、1万3千石の大名になった。三河国吉田藩主の成央(なりなか)は孫。

・ 久世家(下総国関宿藩): 久世広之は家光に信頼され、四代将軍家綱の時には老中を務め、下総国関宿藩5万石。その後、備中国庭瀬藩、丹波国亀山藩、三河国吉田藩と転じ、宝永2年に関宿に戻った。明治時代には子爵。【譜代大名126家「勝ち組」の出世競争 榎本秋 晋遊舎新書】  

※ 140818: 関宿藩って時折耳にするが、この辺にあったのか。1848年、洪水の多かった関宿藩主の久世広周(ひろちか)が、幕府に申請して用排水工事を行った。藩士の土木技師の船橋随庵が工事に当たった。用排水路を関宿落とし、関宿用水という。野田市関宿。

# 寛保江戸洪水で関宿城が流された。

# 下総国。関宿城。久世家譜代大名。5万石。天正18年に立藩。控間:雁間格:城主位階:従四位下。上屋敷:千代田区丸の内豊臣秀吉小田原攻め後に、久松松平康元が入封して立藩した。以後、譜代大名が交替で入り、宝永2年(1705年)に久世重之が入封してからは、久世家が廃藩置県まで続いた。【出典

# 関宿藩士: 逆井家


【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。

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