「花房」の名字の由来
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■ 花房(はなぶさ)

【2022/12/10:改編】

# 蛇の目紋

# 岡山県から兵庫県の播磨地方にかけての名字で、特に岡山市に多く見られる。

# 常陸国久慈郡花房(茨城県常陸太田市)をルーツとし、清和源氏足利氏庶流。後に備前国に移り住み、宇喜多家家老を務めた。

# 備前国宇喜多氏の重臣。常陸国久慈郡花房(茨城県常陸太田市花房町)発祥。清和源氏足利氏庶流。のちに、備前国に転じ、戦国時代には宇喜多直家に仕えた。花房職之は宇喜多秀家のもとで功をあげ、豊臣秀吉の推挙で家老になったが、長船綱直や石田三成の讒言で宇喜多秀家の怒りをかい、宇喜多家を退去した。1600年に、下野国小山で徳川家康に拝謁してその配下になり、直後の関ヶ原の戦いに出陣した。のちに、備中国の都宇・賀陽両郡で8220石を賜って賀陽郡高松(岡山県岡山市北区高松)に陣屋をおいて、交代寄合になった。宇喜多直家に仕えた花房正幸の子の正成は、宇喜多直家を織田方につけることに尽力、備中高松城の水攻めでは足守川の堰き止め工事を担当している。その後は高松城主になり、1万4860石を領したが、1599年に宇喜多家を退去、増田長盛の所領の大和郡山で蟄居した。関ヶ原の合戦では、増田長盛が西軍に属したため、高野山に転じたが、のちに徳川家康に召し出されて、備中国小田・後月両郡で5000石を与えられ、小田郡猿掛に陣屋をおいた。【出典

# 岡山県の花房家

# 「花」のつく名字

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