「なみおか」の名字の由来
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■ 浪岡(なみおか)

【2024/02/09:改編】

# 鳳凰紋

# 村上源氏北畠顕家の子孫。南北朝時代に陸奥国の浪岡(青森市)を本拠としたが、後に大浦家に滅ぼされた。【出典

# 陸奥国の津軽の戦国大名。陸奥国津軽郡浪岡(青森県青森市浪岡)をルーツとする。村上源氏北畠氏庶流。南北朝時代に北畠顕家が陸奥国に下向し、浪岡に住んで浪岡御所と称した。顕義のときに浪岡城を築き、のちに浪岡氏に改姓して、戦国時代には津軽の戦国大名となった。1562年に具運が北畠具信に殺されて勢力が衰え、天正年間大浦氏によって滅ぼされた。【出典

# 浪岡(なみおか): 陸奥国津軽の戦国大名村上源氏の出で、公家北畠家庶流。南北朝時代に北畠顕家が陸奥国多賀城(宮城県多賀城市)に下向。顕家は奥州勢を率いて上洛したが摂津国で討ち死にした。浪岡氏はこの顕家の子孫と伝えるが、津軽に残った弟の顕信の二男の守親が津軽郡浪岡(青森市浪岡)に住んで浪岡氏を称したともいう。いずれにしても、公家の北畠家の一族として浪岡御所と言われた。応仁年間頃に顕義が浪岡城を築城(異説有)、のちに浪岡氏と改称して、戦国時代には津軽の戦国大名となった。永禄5年(1562年)に具運が一族の北畠具信に殺され、わずか5歳の顕村が家督を相続した。顕村は天正3年(1575年)には織田信長に使いを送るなど、中央との接触を試みたが、天正6年(1578年)に大浦為信に攻められて自害して、滅亡した。【出典

# 「浪岡」の地名

# 「岡・丘」のつく名字

# 「波・浪」のつく名字

■ 波岡(なみおか)

【2022/03/01:新載】

# 浪岡氏の同族。南部藩士に波岡氏がいた。現在も岩手県に多く見られ、富山県にも多く見られる。【出典

# 「岡・丘」のつく名字

# 「波・浪」のつく名字

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