香川県内の「十河」の名字の詳細
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■ 十河(そごう): 香川県の十河(そごう)家  

# 香川県の十河(そごう)家: 王家の子孫と称する古代豪族讃岐国山田郡蘇甲(香川県高松市)をルーツとする。【出典】 

・ 讃岐国の戦国大名。讃岐国山田郡蘇甲郷(香川県高松市十川)をルーツとする。景行天皇の子の神櫛王(かみくしおう)の子孫という。古くから讃岐の土豪で、守護細川氏に仕えて四国各地に進出したとみられ、1293年の阿波の守護の小笠原常春の被官に十河元清の名が見えるほか、1356年に細川頼之の目代として伊予守護代となった十河遠久もいる。1362年、北朝方から南朝方に転じた細川清氏が讃岐で挙兵した際には十河十郎吉保が、兄神内景辰・三谷景之と共に参集した。清氏は間もなく敗死したが、十河氏は室町時代も守護の細川氏の下で山田郡の主要国衆として活動したとみられる。細川氏の畿内進出に際しては、1425年に十河宗善が摂津の守護代となった。戦国時代に阿波の三好氏から一存(かずまさ)、存保(まさやす)を養子として迎えて勢力が広がり、一時東讃岐から阿波にかけて大きな勢力をもった。一存は「鬼十河」として恐れられた。そのあとを継いだ存保は滅亡した阿波三好氏の勝端城に入ったが、1582年に中富川合戦で長宗我部元親に敗れて讃岐国に退き、1586年の豊後戸次川合戦で存保が討ち死に、子の千松丸もまもなく死去して滅亡した。江戸時代、子孫は二家に分かれて十河村と熊野村の大庄屋となり、両家共に高松藩から苗字帯刀を許された。【出典】 

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