広島県内の「多賀谷」の名字の詳細 | |
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■ 多賀谷(たがや)
# 安芸国安芸郡の国人。常陸国の多賀谷氏の庶流。鎌倉時代に伊予国周敷郡北条郷(愛媛県)の地頭になって下向し、1351年には下蒲刈島も領した。南北朝時代には、本拠地を倉橋島に移し、蒲刈家と倉橋家に分かれた。戦国時代、倉橋多賀谷家は陶氏に属したため、厳島の合戦の後毛利氏によって滅ぼされたが、蒲刈多賀谷家は毛利氏に仕えた。江戸時代には帰農した。【出典】
# 安芸国の国衆。常陸国の多賀氏の庶流。鎌倉時代には伊予国周敷郡北条郷(愛媛県)の地頭になって下向して、観応2年(1351年)には下蒲刈島を領した。南北朝時代には本拠を倉橋島に移し、蒲刈家と倉橋家に分かれた。戦国時代には、倉橋多賀谷家は陶氏に属したため、厳島の合戦ののちに毛利氏によって滅ぼされた。蒲刈多賀谷家は丸屋城(広島県呉市下蒲刈町)に拠って、毛利氏に仕えた。江戸時代には帰農した。【出典】
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