岡山県内の「浦上」の名字の詳細
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■ 浦上(うらがみ): 岡山県の浦上家 

# 岡山県の浦上家: 播磨国浦上荘(兵庫県たつの市)をルーツとする。赤松氏に従って、室町時代には備前国守護代となり、戦国時代には赤松氏から独立して備前、播磨、美作の一部に勢力を持ったが宇喜多家に滅ぼされた。【出典

# 備前国播磨国戦国大名。播磨国揖保郡浦上荘(兵庫県たつの市揖保町)の出で、紀長谷雄の末裔と伝えるが不詳建武政権では為景が浦上荘の地頭になって、赤松氏が備前国の守護になると、行景・宗隆、助景らが守護代を務めた。宗隆のときに備前国の守護の赤松則祐の命で三石城(岡山県備前市三石)に転じたという。以後は、三石城を本拠に備前東部に勢力を持って、文亀2年(1502年)に一族から宗家を継いだ村宗は、守護の赤松義村のもとで備前国・美作国播磨国を実質的に支配するなど赤松氏を凌ぐ力を持った。やがて、義村と対立して、永正18年(1521年)には義村を攻めて破り、その子の政村を形式的に推載するのみになった。村宗の子の代に分裂、長男の政宗は播磨国の室津(兵庫県たつの市御津町)に転じた赤松氏と与して、二男の宗景は赤松氏から独立して備前国の戦国大名になった。その後、室津の惣領家が滅亡したことから、宗景はその遺領を併呑、天文2年(1533年)には天神山城(岡山県和気郡和気町)を築いた。以後、一時は美作国播磨国まで勢力を広げたが、天正3年(1575年)に家臣の宇喜多直家に敗れて落城した。宗景は女婿である播磨国の黒田孝高のもとに逃れ、のちに筑前国福岡に転じた。【出典

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