兵庫県内の「足立」の名字の詳細 | |
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■ 足立(あだち)
# 山陰地方から近畿地方にかけてと、大分県や岐阜県に多い。
# 足立氏の祖といえる足立遠元は、平治の乱で源義朝に仕え、後に頼朝に仕え、鎌倉幕府の御家人となった。孫の遠政は承久の乱後に丹波国氷上郡佐治郷(兵庫県丹波市)を与えられ、丹波の足立氏の祖となった。
# 県の南部には少ないが、丹波市では最多姓で、その周辺に多い。源頼朝が挙兵した際に、足立遠元が頼朝に仕え、孫の遠政が丹波国氷上郡佐治郷(兵庫県丹波市)を与えられたのが祖。【出典】
# 丹波国氷上郡の国人。武蔵国足立郡発祥。武蔵国造の末裔で、「将門記」に登場する武蔵武芝の末裔と言われるが、鎌倉時代には藤原北家魚名流を称したが不詳。平安時代後期には足立郡の有力武将として源氏に従っており、平治の乱の際にも、源頼朝に従った。「平治物語」には、源義平に率いられて侍賢門を守った精鋭の十七騎に遠元が登場する。「吾妻鏡」によると、1180年に源頼朝が武蔵国に入った際に、遠元は葛西清重らとともに、いち早く頼朝を迎えてその家臣になった。鎌倉幕府が成立すると、その有力御家人となり、公文所の寄人になった。承久の乱後、遠元の孫の遠政が丹波国氷上郡佐治郷(兵庫県丹波市青垣町)を与えられ、丹波足立氏の祖になったという。以後、山垣城に拠って、1579年に基助のときに豊臣秀長に敗れて落城した。【出典】
# 丹波国氷上郡の国衆。武蔵国の足立氏の庶流という。承久の乱後に、遠元の孫の遠政が丹波国氷上郡佐治郷(兵庫県丹波市青垣町城山)に拠った。天正7年(1579年)に基助のときに、豊臣秀長に敗れて落城した。【出典】
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