静岡県内の「西尾」の名字の詳細 | |
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■ 県内229位: 西尾(にしお): 静岡県の西尾家
# 静岡県内では、西部に多く見られる。【出典】
# 清和源氏流の西尾氏は三河国幡豆郡西尾村発祥で、足利義氏の後裔で西尾城主の吉良義安の三男の隠岐守吉次の子孫という。吉次の孫の丹後守忠昭は1649年に田中城主、その子の隠岐守忠成は信濃国小諸から天和2年に横須賀(静岡県大須賀町)城主で2万5000石。子の忠尚は3万5000石になり、明治維新まで186年にわたって横須賀を領した。【出典】
# 足利氏族の今川氏流は、今川氏真の子の安信、孫の以庸が西尾氏を称したのが祖。【出典】
# 静岡県の西尾家: 遠江国横須賀藩(静岡県掛川市)藩主。三河国幡豆郡西尾(愛知県西尾市)をルーツとし、清和源氏の吉良氏の庶流という。西尾吉次が1590年の家康の関東入国の際に武蔵国原市(埼玉県上尾市)で5000石を領したのが祖。関ヶ原の合戦後、1602年に1万2000石に加増されて諸侯に列し原市藩を立藩した。以後、1615年に上野白井2万石、1618年に常陸土浦2万石、1649年に駿河田中2万5000石、1675年に信濃小諸2万5000石を経て、1682年に忠成が遠江横須賀2万5000石に転じた。忠尚は老中となり、1749年に3万5000石に加増。1868年に徳川家が駿府に転じたため、翌年安房花房(千葉県鴨川市)に転じた。明治時代には子爵。【出典】
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