静岡県内の「田代」の名字の詳細
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 静岡県の名字の特徴
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 県内164位: 田代(たしろ)

# 静岡県の田代家: 遠江国豊田郡北鹿島村(静岡県浜松市天竜区二俣町鹿島)の旧家。【出典】 

# 静岡県内では、北駿に多く見られる。【出典

# 伊豆国の田代氏は田方郡田代村(修善寺町)発祥で、後三条院の皇子、輔仁親王の子の源有仁の五代の孫、田代冠者源信綱の後裔という。信綱は父の為綱が伊豆国司として在住中、伊豆国の住人の工藤介茂光の娘に産ませた子で、為綱が帰京した後、母方の祖父の茂光に育てられ、源頼朝の挙兵の際には頼朝に味方した。後に田代村(函南町)に転じ、地名はその名字に由来するという。子孫は田代郷(修善寺町)に住んで、1335年に又次郎入道了賢(基綱)は駿河国の守護代に属し、南朝軍と縄手(袋井市)で戦って、左京亮房綱は歴応3年に足利直義より田代郷(修善寺町)の地頭を認められて北朝方に属した。【出典

# 沼津城主の大久保忠佐の家臣の田代氏は慶長19年に主家の廃絶後、浪人して駿東郡大平村(沼津市)に住んだ。【出典

# 志太郡田代村(本川根町)に住んで地名を名字とした田代氏は、中古の頃に、有度郡7ツ新屋村(清水市)に転じて、子孫は永続した。【出典

# 徳川家康を二俣から筏に乗せて浜松まで送ったという豊田郡鹿島村(天竜市・現浜松市天竜区)の大角孫之丞の子孫は田代氏を称し、元禄年間に田代十郎左衛門といい、八郎左衛門は元和2年に見付から袋井宿に転じて本陣を務めた。【出典】 

都道府県毎の名字の特徴 名字の様々な区分
難読名字 難読地名・珍地名
地名と災害 名字の博物館
名字と地名・都道府県編 民俗学の広場内の検索

■ このサイトで使用している「名字の順位」「全国の概算数」「都道府県毎の順位」などについてはこちらを御覧下さい。詳細】 

統計表示