静岡県内の「高田」の名字の詳細
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■ 高田(たかだ)

# 甲斐国の高田氏は源頼光の五世孫の頼兼の子の高田光円の後裔で、1525年に籠坂の麓の合戦で一族の多くは討ち死にしたと伝えられるが、上杉憲政に仕えた高田憲頼は子の兵庫助信頼と共に武田信玄に仕えた。【出典

# 駿河国の高田一族は駿東郡の各地に住んで長沢村(清水町)の高田氏の先祖の高田主水は武田家の家臣の甘利氏の一族の甘利弾正の子で、天正のころに今川氏に属して高田氏に改姓した。【出典

# 本宿村(長泉町)の名主の高田氏の初代の久左衛門は慶長年間の人。畑中村(清水町)の高田氏は作右衛門の子孫で、元禄年間の当主の半兵衛は赤穂浪士の大石内蔵助の縁者であったという。原宿(沼津市)の桜井氏は代々この地に住んで、藤左衛門は天文年間に高田の地を開拓して高田氏を称し、天正年間武田氏に属し子孫は江戸時代中期に、名主や脇本陣をつとめた。【出典

# 須津衆(富士市)の高田能登守は武田信玄に属し、元亀3年に大岡荘の問屋の管理を山中氏から任され、後裔の惣左衛門の子孫は沼津宿の本陣を務めた。【出典

# 田方郡井田庄(戸田村)の高田氏は、代々この地に住んで北条早雲が伊豆を侵攻してから北条氏に属し、永禄のころの兵庫助は駿河湾一帯の敵船警備のため西浦続狼煙旗頭となって、その子の安千代丸の後見人は、土肥の豪族の富永山城守政家であった。天正18年に北条氏が滅亡してから嫡流は井田庄に戻って、子孫は連綿としてこの地に住んだという。【出典】 

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