大石良雄
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■ 大石良雄(おおいしよしお)【出典】
・ 「大石」の名字。
・ 1659−1703年。享年45歳(刑死)。
・ 出身地:播磨国
・ 家紋: 右二つ巴紋。
・ 通称は大石内蔵助。21歳で父の跡を継いで赤穂藩の筆頭家老になった。30歳代で、京にて剣術や儒学を学び、備中国の松山藩で松山城の管理を行って、1695年に赤穂城に戻った。浅野長矩が殿中で吉良義央に刃傷におよんだことにより、長矩は即日切腹、赤穂藩は改易になった。義雄を筆頭とする四十七士は1702年12月15日に吉良邸に討ち入り、吉良義央を討ち取った。義雄たちは全員切腹させられた。
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