吉良上野介 | |
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■ 吉良上野介(通称)
・ 1641年〜1702年
・ 諱: 義央(よしなか)
・ 通称: 左近
・ 階位: 上野介・左近衛権少将
・ 江戸城松の廊下事件、及び赤穂浪士の討ち入りで有名。
・ 高家肝煎。高家とは幕府と朝廷の間を取り持つ役職で、元禄年間には二十三家あった。吉良家は、家康の大叔母の家筋。
# 吉良義央(きらよしなか): 1641−1702年。吉良義冬の嫡男。吉良家は清和源氏の出で、義央は13歳で徳川家綱に拝謁した。4年後には上野介に任官した。天皇勅使の饗応準備中に、京への出張から帰宅後に、浅野長矩に切りつけられた。命は助かったが、翌年に赤穂浪士の討ち入りがあり斬殺された。【出典】
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