静岡県内の「斎藤」の名字の詳細 | |
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■ 斎藤(さいとう)
# 静岡県内では、全県に見られるが、清水市・現静岡市)、沼津市、伊東市では10位以内。冨士川町、松崎町、豊田町では3位以内。【出典】
# 藤姓のなかでは3位という。斎藤姓の発祥は、鎮守府将軍の藤原利仁の子の叙用(のぶもち)が斎宮頭であったので、子孫が姓と官職名の一字づつをとって斎藤氏を称した。【出典】
# 沼津の妙覚寺の開基の日安は俗名を斎藤弥三郎利安といい、斎藤実盛の子の範房の孫で平維盛の子の六代の妙覚の家臣であったという。また、範房の兄弟の斎藤五宗貞、斎藤六宗光兄弟は妙覚に仕え、妙覚が誅された後に、その首を持って沼津の地に葬り、庵を結んで弔ったと伝える。【出典】
# 叙用の四代の孫の則光の後裔の左衛門尉助遠も駿河国に住んだという。【出典】
# 遠江国の斎藤氏は、文永年間の頃に、茂原の斎藤遠江守兼綱があり、南北朝時代の貞和の頃に、足利直義に従った竹下村(金谷町)の左衛門大夫、1351年に村櫛村(浜松市)の地頭職に越前守利泰がいた。【出典】
# 永禄年間に、遠江国中村(大東町)の修理大夫宗林は今川氏に仕え、のちに武田氏や徳川氏に属し、小笠原氏助らと高天神城(大東町)を守り、落城後には駿府で蟄居した。【出典】
# 日坂宿(掛川宿)の斎藤氏は源氏の末裔で、もとは古田氏を称し、大坂城の落城後にはこの地に移住したといい、武家ならば太田、町人ならば斎藤と姓を変えよといった先祖の言葉を守り、斎藤氏を称したと伝える。【出典】
# 市野村(浜松市)の斎藤氏は、遠祖を永江信興といい、初代の兵五郎泰俊が江戸時代初期に、三河国から移り住んだという。【出典】
# 伊豆の三島宿の斎藤氏は伊豆国の国守の在庁時から鋳物師として続いた。【出典】
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