岐阜県内の「佐藤」の名字の詳細
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■ 県内10位: 佐藤(さとう): 岐阜県の佐藤家 

# 岐阜県の佐藤家: 旗本の伊深佐藤家。藤原姓で、佐藤継信の末裔と言われる。戦国時代に、岐阜県加茂郡富加町加治田にあった加治田城に、佐藤紀伊守忠能がおり、家系的にはその子孫(養子でつないだ)。織田信長に従い、豊臣秀吉から徳川家康に仕え、江戸時代には旗本。佐藤継信の子は尾張国の佐藤家を築いた。【出典

# 美濃国東部の国衆藤原姓で、佐藤継信の末裔と伝える。戦国時代に、一族は上有知鉈尾山城(岐阜県美濃市)、坂之東金懸城(岐阜県加茂郡白川町)、加治田城(岐阜県加茂郡富加町加治田)などに拠った。有知鉈尾山城主の佐藤氏は、斎藤氏に仕えた六左衛門尉(清信)が永正年間にこの地を与えられ、天文年間に砦を築いたのが祖という。織田信長の美濃侵攻で信長に属し、子の秀方は鉈尾山城で2万石を領した。その子の方政は関ヶ原の合戦織田秀信に従って西軍に属して没落した。元和元年(1615年)に大坂の陣で討ち死にした。加治田城主の佐藤紀伊守忠能は永禄8年(1565年)に織田信長が堂洞城の岸氏を攻めた際に、信長に与したが、嫡子の右近右衛門が討ち死にした。信長の命で斎藤道三一族の新五を養子として迎え、自らは隠居して揖深城(岐阜県美濃加茂市)に住んだ。新五は本能寺の変で討ち死にし、佐藤氏は滅亡した。【出典

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