長野県内の「村上」の名字の詳細 | |
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■ 村上(むらかみ): 長野県の村上家
# 長野県の村山家: 信濃国高井郡村山郷(長野県長野市周辺)をルーツとし、清和源氏の井上氏の庶流。のちに越後国に転じ、上杉氏に従って江戸時代には米沢藩士。【出典】
# 長野県の村上家: 信濃国村上郷(長野県坂城町)をルーツとし、清和源氏の出。鎌倉時代には御家人。戦国時代には信濃国の北部で勢力をもったが武田信玄に破れ、越後国に移り住んだ。【出典】
# 信濃国の戦国大名。清和源氏の出。嘉保元年(1094年)に源仲宗の四男の顕清が信濃国更級郡村上郷(長野県埴科郡坂城町)に流されて、子の為国のときに村上氏を称したのが祖というが、初期の系図には異動が大きく、不詳。鎌倉時代には御家人になって、一族を北信濃に多く分出した。戦国時代、義清は善光寺平から小県郡にまで勢力を広げ、葛尾城(長野県埴科郡坂城町)に拠って、天文10年(1541年)には武田信虎とともに海野氏を追放して北信を支配した。その後は武田氏と対立し、天文17年には上田原で武田信玄を破ったが、天文22年(1553年)に信玄に敗れて落城し、越後国の上杉謙信のもとに逃れ、天正元年(1573年)に越後国で死亡した。天正10年に武田氏が滅亡すると、義清の子の国清が上杉景勝から北信四郡を与えられて再興したが、翌年、一族の屋代氏が上杉氏に叛いて滅亡した。【出典】
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