富山県内の「斎藤」の名字の詳細
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■ 県内50位: 斎藤(さいとう): 富山県の斎藤家

# 富山県内では、砺波市、南砺市に多い。

# 富山県の斎藤家: 越中国射水郡作道村にあった旧家。

・ 元禄の頃斎藤市左衛門は孝子の誉れたかく藩から褒美銀10枚が下賜され、終身2人扶持を許された。文化14年十村役斎藤庄兵衛は礪波(となみ)郡宮森村から作道に引越し代々射水郡十村役をつとめた。【出典】 

# 越中国婦負郡南部の国衆。越中国の斎藤氏末裔か。南北朝時代頃から史料に見られ、城生城(富山市八尾町城生)に拠った。天文14年(1545年)から天文16年にかけては惣領家の藤次郎と庶子家の孫次郎利方が争い、惣領家が勝利した。上杉謙信の越中入りで上杉氏に属し、天正6年(1578年)に上杉謙信が急死して、織田信長に属した神保長生が越中国に侵攻すると上杉氏を離反した。しかし、天正10年に織田信長が本能寺の変で倒れると、上杉景勝と結んで佐々盛政と対立して、その結果盛政に攻められて翌11年に落城、次郎右衛門信利は飛騨国三木氏のもとに逃れた。その後徳川家康に仕え、江戸時代には旗本。【出典

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