青森県内の「津軽」の名字の詳細
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■ 津軽(つがる): 青森県の津軽家

# 青森県の津軽家: 津軽藩主。室町時代に陸奥国種里(青森県鰺ヶ沢町)を本拠とし、大浦氏の出。津軽家は南部家から独立して津軽を統一して津軽氏を称した。【家紋:津軽牡丹】明治維新には伯爵

・ 室町時代に陸奥国種里(青森県鰺ヶ沢町)に築城した大浦光信を祖とし、藤原氏を称す。1571年に、それまで従っていた南部家から独立し、津軽を統一し津軽氏を称した。【出典

・ 津軽藩主。戦国大名の大浦為則の女婿として家督を継いだ為信が津軽を統一、1590年に上洛して秀吉から所領を安堵され、この頃に名字を津軽に改めた。関ヶ原合戦では東軍につき、1601年に弘前藩4万7000石を立藩。二代の信枚は徳川家康の養女を妻に迎えるなど、将軍家との結びつきを深めた。信政の代からは蝦夷地警衛も任され、後には10万石に加増。1809年に6000石を分知して9万4000石に。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わらず、承昭は1884年に伯爵。【出典

# 青森県の津軽家: 黒石藩主。1656年に信英が11歳で襲封した甥の津軽藩四代藩主信政の後見人となり、5000石を分知されたのが祖で、黒石に陣屋を置いて交代寄合となった。二代信敏の時に弟の信純に1000石を分知して4000石となった。1809年親足の時、さらに6000石が分知され、黒石藩1万石を立藩した。明治時代には子爵。【出典】 

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